### その14・夢の中の初恋(1) ###

 その日セクァヌは一人で陣営近くの森の中を例のごとく愛馬であるイタカを駆って走っていた。
「きゃーーーー!!」
突然辺りに響いた悲鳴にはっとして、声のした方にイタカを急がせる。

「ぼっちゃま・・・・ぼっちゃまがーーー!!」
土手が崩れ、連日の雨で水かさを増していた川の激流の中へ子供が落ちたらしかった。
それを崖の上から見たセクァヌは、一瞬の躊躇もせず、イタカから下りると3m程したの川へと飛び込む。
(水かさは?・・・多分大丈夫よ。でももし浅かったら・・・)
一応そんなことも頭を過ぎったが、その時はすでに飛び込んでいた。

−ザッパーーン!−
幸運にして水かさは十分あった。が、その流れはかなり速い。
ゴボゴボゴボと一旦沈み、激流と戦いながら、ザバっと水面に顔を出す。
(よかった、すぐそこだわ。)
流れを横断するようにして、おぼれてすでにぐったりして浮いていた子供のところまでなんとか泳いでいく。
(あとはなんとか岸へ・・・・)
子供を抱きかかえて岸に視線を移す。

岸では、子供の世話係らしい女性の声を聞いてかけつけた者たちが一人二人と集まってきていた。
「あ・・あれは・・・子供を抱えているのは・・・」
そしてセクァヌを見て一様に驚く。飛び込んだ時にフードはすでになく、銀色の髪が川面で光っていた。
「ぎ、銀の姫様が・・・・」
どよめきが広がる。

「おい!誰かロープを持ってないか?近くに家は?」
その騒ぎの中、一人の男が叫ぶ。
「おお!あるぞ!」
群衆の中の木こりらしい男が叫びながらロープを取り出す。
男はそのロープの先に木の枝を縛り付けておもり兼浮きにすると、セクァヌの近くめがけて川に投げ入れた。

−バシャン!ー
上手い具合にすぐ目の前に投げ込まれたそのロープまで泳ぎ、セクァヌはそれを掴むとなんとか自分の身体に巻き付ける。
「よし!みんな引き上げてくれ!」
男のかけ声と共にロープを引っ張る。

川の流れに逆らって泳ぎながらロープを辿り、なんとか岸へ辿りつく。
「ぼっちゃま!」
世話係の女性が子供に駆け寄ってくる。
ロープを投げた男が、セクァヌから子供を受け取ると人工呼吸を始めた。
「姫様。」
駆け寄ってきた男の中の一人が自分の上着を脱ぎ、セクァヌにかける。
「すみません。」
にっこり笑ったセクァヌに、周りの人々は思わずほお〜っとため息をついて見つめていた。

子供も無事気づき、崖から下りてきたイタカに乗って帰ろうとするセクァヌを子供の世話係の女性は引き留める。
「お願いです、ぼっちゃまの命を助けて下さったのに、私が怒られてしまいます。それに汚れてしまったその格好では。」
気温は水浴にはもってこいの高さだったが、濁った水や流れてきたものせいでセクァヌの服も身体も汚れていた。
ひたすら頭を下げ懇願する女に、セクァヌは断りきれず申し出を受けることにして、屋敷へと向かった。
そこはその辺りでは有名な商人の屋敷だった。

陣営へその旨知らせてもらうことを頼み、セクァヌはまずすすめられたお湯につかった。
「お風呂なんて久しぶりだわ。いつも水浴だから。」
勿論女性兵士と交替で入るのだが、水浴でも男のように気軽にというわけにはいかない。いろいろと手がかかった。だからこそ、野営地でのお風呂は贅沢きわまりないことである。火を焚き、入浴するだけの湯を沸かすことは時間も掛かるし、労力もいる。

「姫様、御髪を洗わせていただけますでしょうか?」
入浴を手伝おうと浴室に入ってきた使用人は、セクァヌの傷跡と予想外の筋肉質に驚く。が、そこはそのように作法をわきまえた使用人たちである。表情にも表さず、にっこりと微笑む。
「あ、はい。お願いします。」
こんなとき断ってはかえって礼を失することとなる。セクァヌは微笑をかえして了承する。
「本当にお綺麗な髪ですこと。」
浴槽の淵に頭を乗せ、髪を洗ってもらいながら、広い湯船にゆっくりとお湯につかり、セクァヌは手足を伸ばしていた。

湯からあがると用意されたドレスを身に纏い、大広間で主人と対面する。
「こ、これは・・銀の姫様にはご機嫌麗しゅう。また先ほどは息子の命をお助け下さり、お礼の申し上げようもございません。」
噂通りのセクァヌに圧倒されつつ、夫婦はそろって深々と頭を下げる。
「いえ、当然のことですし、助かってよかったわ。」

そして、子供の救助を手伝った男も加えて、広間で宴会が始まった。
「姫様、お酒は?」
「あ、私、だめなんです。」
「それでは何かジュースか果物でも。」
次々と運び込まれる料理と目の前で繰り広げられる踊り。
セクァヌは久しぶりのこういった雰囲気を楽しんでいた。
もちろん、周りの視線はセクァヌにくぎづけだったことは言うまでもない。その気さくさに驚きながらも、遠まわしに見つめていた。

「姫様、シャムフェス様がお迎えに来られました。」
「え?シャムフェス?」
意外だった。アレクシードが来るものとばかり思っていた。

「姫・・・またやったようですな。」
シャムフェスは近づくと同時に、意味深な笑みを見せる。
「・・・アレク・・は?」
セクァヌの横に用意されたラグに座ったシャムフェスに不思議に思ったセクァヌは聞く。
「ああ、アレクですか。アレクは・・・」
少し意地悪そうな光を帯びた目で笑いながらシャムフェスは答える。
「人様の屋敷で姫を怒鳴ってしまいそうだとかで、私に役目を譲ってくれました。」
「そ、そうだったの。」
「アレクでなくて残念でしたか?」
「あ・・そ、そんなことは・・・。」
アレクシードが迎えにこれば、多分またいきなり罵声の嵐だと思っていたセクァヌは、ほっとした自分と残念だと思っている自分と両方を感じていた。


その帰り、洗濯してもらったが、まだ乾ききっていない服を荷袋に入れ、セクァヌは商人にもらったドレスで馬に乗っていた。
すっかり日も暮れ、2人は月明かりの下、並んで馬を駆っていた。

「アレク、怒ってるでしょうね。」
「そうですね。最近一人歩きが多いとぼやいてましたよ。おかげで、心配ばかり増えてるとか。それに付け加え今日の出来事、怒鳴られるのは覚悟しておいた方がよろしいでしょう。」
「なんとかならないかしら、シャムフェス?」
「なんとかですか?アレクの怒りなど慣れていらっしゃるのではないですか?」
面白がっているような笑みをみせ、シャムフェスは静かに言う。
「あれは慣れようと思っても慣れるものじゃないわ。あの勢いにはいつもたじたじよ。・・・私が悪いんだし。」
まるでいたずらっ子のような笑みでセクァヌは笑う。
「でも、そうおっしゃってくださるのも久しぶりですね。昔は、アレクと何かあると私によく相談してくださったものですが。」
近頃はとんとない、とシャムフェスは笑う。
「そ、そうだったわね。なんとかアレクに怒られないいい方法はないかって、シャムフェスによく聞いてたわよね。」
ふふふっと思い出し笑いしてから、セクァヌは幼い頃に便乗することにした。
「で、今日は何かいい方法はあって?」
「いい方法ですか?・・・そうですね・・・。」
しばらく考えているようなふりをしてから、シャムフェスはセクァヌを見つめながら言った。
「アレクの怒りを静める方法など簡単なものですよ。」
「簡単なの?」
セクァヌには全く浮かばなかった。セクァヌの身を心配する余りの怒りの場合、直撃を受ける以外方法はないと思われた。
「そう、とても簡単です。」
「そうなの?」
にっこり笑うとシャムフェスは続けた。
「アレクの姿が目に入ったら、向こうが何か言う前に胸に飛び込んでしまいなさい。首に抱きついて彼の耳に囁くのです。ただ一言、『ごめんなさい』それで十分です。あ、いえ、名前を呼んだ方がいいかもしれませんね。甘く熱く・・。それで彼の怒りはどこへやら。すっ飛んでしまうこと間違いなしです。」
「シ、シャムフェス・・・」
「その姿も相乗効果を生んで必ずうまくいきますよ。」
いつもの服装とは違うドレス姿。アレクシードがそのセクァヌの姿に気を惹かれないはずはない、とシャムフェスは確信していた。その実、シャムフェス本人もそうなのだから。
「で、でも・・・・」
そんなこと私にできるわけない、とセクァヌは頬を染めてシャムフェスから視線を逸らす。それにそんなことをすれば、その後が・・・と考えてセクァヌはますます赤くなる。
「いいのではないですか?姫はアレクがお好きなのでしょう?」
「え?・・で、でも・・・・」
シャムフェスに考えていたことがわかってしまい、言われた瞬間彼と視線を合わせたセクァヌはまた一段と赤くなってうつむく。
「そうですね・・・おそらくそんなことをされれば、最近避けられているようだ、と嘆いていた分、嬉しさひとしお。結果は火を見るよりもあきらかでしょうね。・・まさに火、炎のごとく燃えて、怒りは消えてもそれはそう簡単には消えないでしょう。・・・ですが、後はアレクに任せれば、何も心配はありませんから。」
「シャムフェス!」
これ以上赤くならないというほどに赤くなったセクァヌをシャムフェスは面白そうに見ていた。
「そうじゃなくて、もっと違う方法はないの?」
「そうですね・・・違う方法ですか・・・・・」
しばらく考える。
「残念ながら他の方法は・・・思いつきません。」
「そんな・・シャムフェス・・・・」
「それに、ほら、どうやら待ち人らしいので。」
道の先に馬車が一台止まっていた。

近づいていくと馬車の横にベールをかぶった女らしい人影があった。
「シャムフェス様・・・」
小さく震えるような声が聞こえた。
「エレーリア嬢?」
シャムフェスが彼女の前で馬を止める。
「あの・・・・シャムフェス様・・あの・・・・」
消えうせてしまうような声で言うその女性は、背格好からセクァヌと同じくらいと思えた。薄絹のベールから透けて見える涙で潤んだ瞳は熱っぽさをもっていた。
「今日はせっかくご招待されてましたのに、申し訳ございませんでした。」
「あ、いえ、姫様のご用事ですもの、しかたございませんわ。」
その会話で、セクァヌは今日約束があったのに、それを断って迎えにきてくれたのを知る。
「で、どうかなさったのですか?このような夜更けに?」
「あ、あの、シャムフェス様・・・わ、わたくし・・ご迷惑なのは・・・わかっております。」
ちらっとセクァヌを見てから、彼女はその熱を帯びていた瞳でシャムフェスを見つめて続ける。
「でも・・でも、・・・明日ここをお発ちだとお聞きして・・・わたくし・・・・わたくし・・・・・」
「エレーリア嬢。」
「お願いです、・・わたくし・・・・わたくし・・今宵だけでも・・・」
全身を震わせて、勇気を出して言う彼女の瞳は、決意に燃えていた。一夜だけでも思い出がほしい、とエレーリアの瞳は語っていた。
その彼女にやさしい笑みを投げかけ、シャムフェスはすっと手を差し伸べる。
「シャムフェス様・・。」
沈んでいた表情がぱっと輝く。差し出されたエレーリアの手をそっと握り、シャムフェスはやさしく彼女を馬の上へ抱き上げる。
「シャムフェス様・・・・」
エレーリアはためらいがちではあったが、嬉しそうにシャムフェスの胸に身体を寄せた。そして、シャムフェスはそんなエレーリアをやさしく片腕で包み込む。
「というわけで、姫、申し訳ございませんが、野営地ももうすぐその先ですので。」
「あ、はい。私でしたら大丈夫です。」
呆気にとられて2人を見ていたセクァヌは、はっとして答える。
「それでは、失礼致します。」
エレーリアを抱き、シャムフェスは野営地とは反対の方向へ馬を駆っていった。馬車がその後を追っていく。
「・・・・つまり・・それって・・・・・」
考えてまたしても赤くなるセクァヌ。


「・・・・いいのかしら、シャムフェスったら・・・。」
そんなことを考えながらセクァヌはゆっくりとイタカを駆っていた。
そして、シャムフェスの言葉と今のエレーリアの行動に、セクァヌは、無意識に彼女と自分の姿を重ねていた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「アレク・・」
(私がアレクシード様っていうのもおかしいわよね?)
「お嬢ちゃん。」
「アレク・・私、私・・・・・」
(ご迷惑・・・というのはおかしいわよね。・・・どっちかというと待っててくれてるのよね、アレクは。)
セクァヌの熱いまなざしを受けて、アレクシードの瞳も熱を帯びてくる。
(これは・・・・ならない方がおかしい・・のよね?)
「お嬢ちゃん・・・」
そのたくましい腕でぐっとセクァヌを抱き寄せる。そして・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「だめーーーー!・・わ、私にはできないわっ!そんなこと!」
思わず彼女は心の中で叫んでいた。
そして、ぶんぶん!と頭を振る。
(そんな恥ずかしいことできっこないわ!)

などということを考えているうちに野営地が見えてくる。
「・・・・やっぱり・・・・」
その入口で、アレクシードが仁王立ちしていた。
「ど、どうしよう・・・・かなり怒ってるような気が・・・?」
確かに怒っているようにも感じれらた。が、それよりも悲哀感の方をアレクシードから感じた。

「ア、アレク・・・・」
シャムフェスの言った事はやはりできそうもない。これはもう思いっきり怒られるしか手はないと思っていたセクァヌの予想に反してアレクシードは静かに口を開いた。
「お嬢ちゃん、シャムフェスはどうしたんだ?迎えに行ったんじゃなかったのか?」
「あ?え?ええ、・・・来てくれたことは来てくれたんだけど、この先で女の人が待っていて・・・・」
「またか・・・ったく、あいつは・・・。で?お嬢ちゃんを一人にして行ってしまったというのか?」
「ええ、もう近いからいいだろうって。」
「まったく・・・・」
ぼりぼりと頭をかいてアレクシードはくるっと向きを変える。まるでセクァヌなどどうでもいいというように。
「アレク?」
「ああ、もういいから、休むんだな。疲れただろう?」
「ううん。くつろがせてもらったから疲れてないわ。」
「そうか。ならいい。」
すたすたと歩いていくアレクシードに、セクァヌはどうしたのかとイタカを彼の前に駆け寄らせる。
「アレク?」
セクァヌの視線を受けてアレクシードはちらっと彼女を見つめ、そして、視線を逸らすとため息をつく。
「アレク、どうかしたの?」
それでも何も答えないアレクシードに、セクァヌはイタカから下りて、彼の前に立ち、じっと目を見つめる。
「今日のアレク、へんよ?」

「いいから、テントへ入って寝てくれ。」
しばらくじっと見つめあっていた後、アレクシードがようやく口を開いた。
「どうして?」
「どうしてって・・・・オレに言わせる気か?」
「え?」
『何を?』と聞こうとしてセクァヌはアレクシードの瞳がせつなささを帯びていることに気づき、どきりとする。

確かにアレクシードは怒っていた。顔をみるなり怒鳴ってやろうと思っていた。が、それとは反対に、最近一人ででかけるセクァヌに不安を覚えていた。もしかしたら・・・オレは邪魔なのではないだろうか、と。そして、帰ってきたときのセクァヌのドレス姿に胸を熱くし、危機感を覚えての行動だった。またセクァヌの気持ちなど構わず手をだしてしまいそうで、アレクシードは自分が恐かった。セクァヌにこれ以上避けられるようになるのが恐かった。
それを避けるため、話をシャムフェスのことに持っていったり、なるべくセクァヌを見ないようにしたのだが・・・・。
目の前には覗き込むようにして彼を見つめているセクァヌがいる。

「お嬢ちゃん・・オレは・・・、オレはもう傍にいなくていいのか?」
そんなことを言うつもりはなかった。が、思わずアレクシードの口から出ていた言葉はそれだった。
「ア・・レク・・・・」
その言葉はセクァヌの心を貫いていた。怒られるより何よりも彼女の心に突き刺さった。
『最近避けられているようだ、と嘆いていた』と言ったシャムフェスの言葉を思い出す。
「アレク、私・・・」
「ああ、いい。忘れてくれ。今日のオレはおかしいんだ。また・・・明日な。」
「アレク・・・・・」
寂しそうな後姿を見せ、アレクシードはセクァヌの前から立ち去っていった。


(なぜ、私は追いかけなかったのかしら?)
テントに戻ったセクァヌは自分にそう聞いていた。
(そんなに恐いの?アレクが?・・・自分でお嫁さんになるとか言ったくせに?)
そして、ふと浮かんだエレーリアの姿。震えながらも自分の決心を貫き通した彼女がなぜかとてもうらやましく思えた。
(私は・・・)
アレクシードに甘えてばかりで、彼のために何かした覚えがない、とセクァヌは気づく。
アレクシードを避けていたつもりなど全くなかった。アレクシードがそばにいない自分は考えられなかった。ただ、なんとなく、一人でふらりと出かけることが多くなっていた事は確かだった。

そういえば、初めて会った頃からアレクシードと心に決めていた。でも、なぜなのか?とセクァヌはふと思う。
話に聞いた一目惚れという感覚はなかったように思えた。胸を焦がす熱い想い、全てを捨ててでもその人と共にいたい、そんな気持ちではないようにも思えた。あまりにも純粋にすんなりとアレクシードを心に受け入れていた。そしていつの間にかアレクシードが傍にいるのは当たり前で、気にも留めなくなっていたのかもしれなかった。
「私は・・・・本当はどうなのかしら?」
確かにアレクシードの事は好きだと思う。が・・・・

「アレク・・・・」
いつの間にか涙が頬を伝っていた。このままアレクシードと気まずいままになってしまったら・・・?
あれこれ考えながら、セクァヌはいつのまにか眠りの中へ入っていた。


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