「ここは・・・・?」
ミルフィーはそっと上体を起こした。そこは見知らぬ部屋のベッドの上。
−カチャリ−
「気がつかれたかの、お嬢さん?」
「え?」
ドアを開け、入ってきた人物?を見てミルフィーは驚く。
それは、二本足で立ち、服を身につけているが、明らかに、猫の姿だった。灰色の猫。
(これは・・・夢?)
周りを見渡しでも他には誰もいない。今の言葉はその猫が話したと判断する以外ない。
「ほっほっほ、驚かれるのもむりないぢゃろ?」
多少声高のその猫は、ミルフィーに温かいスープの入ったカップを手渡しながら、にこやかに笑った。
そのカップを受け取りながら、ミルフィーは呆然としたようにその猫を見ていた。
男物の服装から判断してオスだと思われるその猫は、にっこりと今一度微笑む。
「ケットシーというのはご存じぢゃかの?」
「ああ・・は、はい。」
ワーウルフが狼人間なら、ケットシーはさしずめ猫人間。ワーウルフは塔での探索のとき、敵としてまた魔族として出会い戦ったことがあったので知っていた。が、ケットシーは聞いたことはあるものの、出会ったのは初めてだった。
「ここはケットシーの街ぢゃ。」
「街?」
「そうぢゃ。」
彼はベッド脇の窓から外を見るように、ミルフィーを顎で促した。
「え?」
そして、再びミルフィーはその景色を見て驚く。
「こ、これって・・・・・・水の中?」
呆然として窓の外を見つめながら、ミルフィーは思いだしていた。ここで目覚める少し前のことを。、
「はっはっはっはっ・・・・歌姫殿は愉快なことをおっしゃられる。」
その日、ミルフィーはレムナギス公爵と船遊びをしていた。そして、湖底のどこかで眠っている宝探しのことをそれとなく言ったミルフィーは、一笑されていた。
「確かにそのような話も耳にしたことはございますが・・・・湖底まではあまりにも深すぎて、人魚姫でないかぎりそれは無理でしょう。」
「そんなに深いのですか?」
「水龍の神殿があるという伝承もあるこのシゼリア湖。その深さは我々では計り知れないほど深いと聞き及んでおります。淡水に生息する貝を生活の糧として獲っている領民もいますが・・・・ほとんどが岸に近い浅瀬で、それもすり鉢状にすぐ深くなっておりますので、無理というものでしょう。数代前の王が湖底を調査しようとしたらしいのですが、あまりにも深く諦めたという話もあります。」
「そう・・・ですか・・・・」
水龍の神殿の伝承は、街の教会にある図書室で知り、そして、城の書庫で確からしいという本を見つけ、湖底の探索の必要性を感じていたミルフィーだったが、レムナギスの言葉にがっかりする。
「もし、歌姫殿が人魚姫であったのなら・・・・湖底の神殿へご一緒するのですが・・・・美しい湖の底で2人きり・・・あなたと私だけ・・邪魔者はなにもない美しい世界・・・」
(来た来たっ!)
「ふ〜〜っ」
さりげなくミルフィーの背後からその手を伸ばし肩を抱いて顔を近づけるレムナギス。
思わずドキッとするミルフィーと、そんなレムナギスを威嚇する猫。
「あ、あの・・・・」
「あっ!急に動かれては!」
お色気作戦も時と場合によっては、とラードには言ったものの、いざとなるとやはり気が動転した。レムナギスを避けるため場所を少し移動しようとミルフィーが腰を浮かしたその時・・・
「あっ!ファーっ!」
ぐらっと傾いた船の揺れのどさくさに紛れてレムナギスが猫を放り投げたといってもよさそうな感じだった。
ふかふかの白い毛が気に入り、ファー(毛皮)と名付けたその猫は、レムナギスの狙い通り、湖面へとその身を躍らせた結果となった。
−バシャーーン!ミギャーー!ニギャー!−
船の揺れで落ちたにしては距離があった。
「ファーっ!」
慌てて助けようと船縁から身を乗り出すミルフィー。が、届きそうもない。そして漕ぎ手はレムナギスの指図なのか、猫の落ちた方へ漕ごうとはしない。
そして・・・・
「歌姫殿っ?!」
−バッシャーンッ−
泳ぎには不向きなドレスを着ていたことも忘れ、ミルフィーは湖へ飛び込んだ。
「は、早く!歌姫殿をっ!」
静かだったそこは、一挙に大騒ぎとなった。
が・・・あたふたしている間に、猫を抱えたはいいものの、たっぷりと水を含んだドレスに身動きできなくなったミルフィーは、まるで引き込まれるかのように水底へと沈んでいった。
「歌姫殿ぉ〜〜〜!!!」
レムナギスの叫びと供の者たちの呼び声を耳にしながらミルフィーは息苦しさと共に気を失っていった。
「私・・・・ファーを助けようとして・・・・」
窓から外を見ながら呟いたミルフィーに満足するかのように、ケットシーはドアを開け、部屋の外にいたらしい何者かに中へ入るように声をかけた。
「にゃお・・」
「あっ!ファー!ファーも無事だったのね?」
その鳴き声に振り返りざま手を差し伸べたミルフィーのところへ、猫はたっと賭けよってベッドへ上がる。
そして、抱き上げたミルフィーの頬をぺろっと舐めると、トン!とベッドから下りた。
「ファー?どうしたの?・・・・ええっ?!」
なぜ腕から逃れたのか不思議に思ったミルフィーは、目の前でまるで魔法でもかけたように変身したファーに驚いて目を丸くした。
「ファ、ファー・・・あなたもケットシーだったの?・・・本当に・・ファー?」
「そうですよ、ミルフィー。私があなたがファーと名付けた猫です。」
人間の大きさになり、そして後ろ足で立ったケットシーは、確かに全身ふわふわの真っ白な毛で覆われている。そして、その顔も金色の瞳も確かにファーのものだった。
「ありがとう、ミルフィー。あなたは私の命の恩人です。」
唖然としているミルフィーにファーはそっとその額にキスをした。
「あ、でも・・私・・・なんにもしてないわ。」
そして、ファーの横にいるケットシーを見つめる。
「命の恩人なら、あなたなのよね。えっと・・・」
礼を言おうとしてまだ名前を聞いていなかったことに気づくミルフィー。
「私はミックといいます、ミルフィー。」
「ありがとう、ミック。私たちが助かったのはあなたのおかげよ。でも・・・・水中の街って?」
ミックは、ファーと目をあわせて笑ってからにこやかに答えた。
「その昔、わしらの祖先は、ガンデリアの街やこのシゼリア湖周辺の森に生息していた猫ぢゃったんぢゃ。ぢゃが・・・あるとき、といっても、今から百年ほど前のことになるんぢゃが、異常に増えてしまったときがあっての・・・・。」
異常に増えた猫に恐怖を感じた人間達の猫狩り。それを逃れるため城の裏手
に広がる森、昔から代々の王と懇意にしていた魔女が住むと言われ、誰も近寄らない森。その森に実際に住んでいた魔女とそしてその使い魔をしていたケットシーがその魔力で作った街が、今ミルフィーがいる湖底の街だった。
不思議な結界で守られたそこは、石造りの家の中は空気に満たされていた。そして、家々を移動するには、『空気玉』と呼ばれるあめ玉を口に含んでいることによって可能になっていた。
「『空気玉』はミック博士の発明品なんです。」
「ミック博士?」
「一応研究者ぢゃよ、これでも。」
「変人のね。いや・・変猫ですね。」
「こりゃ、ポチ!」
「ポチ?」
ポチと呼ばれて面白くないといった表情のファーにわっはっは!と笑いながらミックはミルフィーに言った。
「いやー、犬のような名前ぢゃろ?こいつが犬のように強くなるように、と、ポチのおっ母さんが名付けたんぢゃ。」
「は、はー・・・・」
「おかげで冒険心が強くて、ここを抜け出ては、城へ行ってることが多いんぢゃ。」
「ああ、それでお城にいたんですね?」
「魔女の庵は岸辺にあってなその岸辺に上がって森を抜けて城へ行ったり街へ行ったりしてるんぢゃ。他に猫が上がれるような岸はないからのぉ。」
「でも、そうすると普通の猫もいるわけですか?」
「いや、それがの・・・この街に来ると不思議に人型というか・・ケットシー化してしまうんぢゃ。魔法の影響らしいんぢゃが。」
「え?じ、じゃー・・わ、私も?」
「わっはっはっはっはっ!」
顔色を変えたミルフィーに、ミックとファー(ポチ)は大笑いした。
「大丈夫ぢゃろ。・・といっても、人間はあんたが初めてぢゃからのぉ・・・わからんが?」
「そ、そんなー・・・」
「大丈夫ですよ。普通の猫がケットシー化するといっても、数年間ここに居続けてる場合だけなんですから。」
「そ、そう?・・・」
ほっとして安堵の表情を浮かべたミルフィーを、ファーはくすくす笑いながら見ていた。
「ここは、天国ぢゃ。人間にも犬にも追いかけられたりはしないからの。それに、街から出れば餌はうようよ泳いでおる。」
「そ、そうね?」
湖の中なのである。それはもっともだった。
「それを好きこのんで出ていくこいつの気が知れんわい。」
「ここにいただけじゃたいくつだろ?」
「そうかもしれんが・・・普通はひなたぼっこを楽しみに行くくらいなもんぢゃ。お前さんのように城内の探検ぢゃとか危ないまねなど誰もせんわい。」
「みんな冒険心ってものがないんだよ。」
「ったく・・・いくぶん魔法が使えるからいいようなものの。」
「魔法が使えるの?」
「はい。少しだけですけど。」
「ここにいるケットシー全員?」
「魔女の使い魔だったケットシーの血を引く者のごく一部だけです。」
「ということは、ファーは・・あ・・ポチは、その子孫?」
「ファーでいいです。」
ファーは苦笑いしながらミルフィーに答えた。どうやらポチという名前は好きじゃないらしい。
「ぼくは先祖帰りとかいうやつらしく、影響が強いらしいんですよ。」
「じゃ、水の中に落ちても大丈夫だったの?」
「 あ、いえ、ケットシーの弱点は、水なんです。それにぼくのこの毛皮は重いほど水を含むので、入ろうと思って入ったのならまだしも、ああいった時は・・」
「そうよね?人間だって咄嗟の時は慌てちゃうし。でも、空気飴持ってたんじゃないの?」
「そ、それがですね・・・・・あと1つか2つあったのですが、お城のどこかへ落としてしまったみたいで・・・」
「ぷっ!」
「まったく、お前って奴はっ!どうやって帰ってくるつもりぢゃったんぢゃ?」
「あはは・・・・」
吹き出すミルフィーと照れ笑いのファー。そして、ファーを睨んではみたものの
つられて笑いはじめたミック博士。
信じられない湖底の猫の街。ミルフィーがファーに連れられてのんびり街を見学している時、城に残っていたラードとセイタは真っ青になっていた。
「大変だっ!歌姫様が湖に落ちたらしい!」
「愛猫を助けようとして、あやまって落ちたんだそうだ!」
召使いたちの声が衣装部屋に隠れていたラードとセイタの耳にも入っていた。
「湖に?」
ぎょっとしたものの、すぐ助け出されるだろうと思っていたラードは、その深さのため難航し、挙げ句の果て夕方には捜索が打ちきられたと知り、真っ青になる。
「くそっ!自分の腹が痛いわけじゃないからな?・・・旅芸人1人くらいの命なんてどうでもいいってんだろ?・・・・だから、貴族なんてやつらは・・・・」
怒りと焦りで躍起になるラード。が、完全に夜にならない限りそこから出るわけにもいかない。
「何どじ踏んだんだよ、ミルフィー?」
口をついて出るのは悪口ばかり。が、本心は心配で心配で仕方ない。
「ラード、ミルお姉ちゃん、大丈夫かな?」
心細げに、そして心配そうに聞くセイタに、神龍の騎士がそのくらいでくたばるわけはない、と言いつつ、ラードは生きた心地がしなかった。
ともかく夜になったら、すきを見てミルフィーを連れ出したレムナギスを締め上げて、湖に落ちた状況と場所を聞き出そう。ラードは逸る心を抑え、自分に言い聞かせ続けていた。
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