ミルフィーは毒沼の淵伝いに回っていた。
「どこにも人影らしきものはないわね・・・。」
村からそこは森が続いていた。が、毒沼へ近づくほど、木々は枯れ、景色は変化していた。加えてその臭気に、ミルフィーはまいっていた。
「大口叩いちゃったものの・・・どうしようか・・・・・この臭いでだんだん気持ちも悪くなってきたわ。」
長時間沼の淵にいると毒にあてられるから気をつけろ、とラードに言われてきた。が、手ぶらで帰るわけにもいかない・・とも思う。
(沼には一歩でも入ると、皮膚から毒が浸透してくるんだったわよね。)
腐臭を放つ漆黒の沼。そして、そのあちこちからは、黒ずんだ灰色の枯れ木が枝を伸ばしていた。
−ストン!−
毒に当てられたのか目眩がしたミルフィーは、落ちないうちに馬から下り、パカポコと馬を引きながらそれでも畔を歩いていた。
「お腹もすいてきたけど、この臭いじゃ・・・・」
食欲もなくなっていた。
「意地を張っても仕方ないわよね。わからないものはわからないんだし・・・ねっ。」
村へ戻ることにし、馬に話しかけ、今一度沼の方向を向いたミルフィーの背を誰かが押した。
−トンッ!−
「え?・・・・あ・・あ・・・あ・・・・・・・」
バランスを崩したミルフィーは、それでも必死になって態勢を整えようとする。が・・・・抵抗むなしく身体は沼へ吸い込まれるように落っこちた。
−バッシャーーーン!・・・・−
「ち、ちょっと・・・これってやばくない?」
普段はいくら気配を消して忍び寄ろうとも、よほどの達人でない限り、ミルフィーは気付くはずだった。が、やはり空気中を漂う毒に当てられ注意力も散漫になっていたらしい。後悔したが、すでにおそく、全身沼にはまっていた。
「う・・・・・」
沼の水を飲んだ覚えはなかったが、やはり皮膚呼吸で吸い込んでいるらしかった。
「やば・・・身体がしびれてきた・・・・」
張り出している枝をたぐりなんとか岸へあがろうとしていたが、それよりも毒が回って来る方が早い。
(ちょっとー・・・こんなとこで死んでしまったら、しゃれにも何にもならないでしょ?どうせ死ぬなら戦いで・・・剣を交えて死にたいわよっ!)
−ぐいっ!−
「え?」
半分気が遠くなりかかっていたミルフィーの腕を何者かが引っ張るのを感じ、ミルフィーは顔を上げる。
「シ、シモン?・・・・」
確かにミルフィーの腕を引っ張って引き上げているのは、あのシモンだった。
「何してるんだ?毒沼で水浴びか?」
「そ、そんなわけないでしょ?・・そんな・・わけ・・・・」
「あ!おいっ!ミルフィー?!」
焦ったようなシモンの声が遠くに聞こえた。ようやく沼から出た安心感なのか、それとも毒のせいなのか・・いや、両方とも言えたが、ミルフィーの意識は徐々に遠のいていった。
「いかん!この辺りは特に毒気が強かったんだ。」
ミルフィーの衣服から落ちる毒を含んだ湖水が自分にかかるのもかまわず、シモンはぐったりしたミルフィーを慌てて彼女が乗ってきた馬の背に乗せると、森の奥へと急がせた。
−ガチャンガチャン!−
そこは昔ドワーフたちの畑だったところ。毒沼から離れた森の中、その畑だったところの中央にある古井戸の水を、シモンは必死になって汲み上げていた。
−ザザーーーー・・・−
毒消し薬は、馬の上ですでにミルフィーには飲ませてあった。が、そのままだと皮膚からどんどん新たなる毒が吸収されてしまう。シモンは毒水を流すため、馬に乗せたままそのきれいな井戸水をミルフィーにかける。
「う・・・・、い、いかん・・オレも回ってきたか?」
彼女を抱えてそこまで走ったシモンも目眩を覚え、慌てて自分も水をかぶる。
井戸水を汲み上げ、勢いよくそれをミルフィーにかける。それを何回繰り返しただろう。
「もういいかな?」
シモンはそう判断すると、畑の隅にある小屋へとミルフィーを運んだ。
「お前も大丈夫だよな。」
ぽんぽん!と馬の背を叩き、大丈夫だと確信すると中へと急ぐ。
「しかし・・・・・」
小屋の中でいろりに火を起こしながら、シモンは困惑していた。一応水分はふき取り、そして火をおこしたとしても濡れたままの服でいられる気温ではなかった。しかも起きていればまだしもミルフィーは気を失っている。そのままでは体温が取られていくのは当然だった。加えて一応沼の水は洗い流したとはいっても、体内にはすでに吸収された毒がある。それは、確実に彼女を弱らせているはずである。毒消しを飲ませはしたが、吸収された毒に十分な効力があるかどうか判断できなかった。
「いかん!痙攣が!」
躊躇している場合ではなかった。小刻みに痙攣したミルフィーに、シモンは自分の荷から大きめの上着を出すと、少しも躊躇わず口移しで薬をミルフィーののどに流し込んだ時と同様、衣服を脱がしていく。ミルフィーを助けたい、ただそれだけで、シモンの頭には余分なことは一切なかった。
「身体が冷たい・・・・・」
死人のように冷たくぐったりしてしまったミルフィーを、シモンは自分も服を脱ぎ、しっかりと抱いてその場で共に上着にくるまる。
「オレは死んでもいい・・・オレの体温は全部やる。だから、あんたは・・・あんたは死んでくれるな。・・頼む・・・ユミナのようにオレの目の前で逝かないでくれ。・・これ以上オレだけ取り残さないでくれ・・・・。」
悲痛な思いでシモンはミルフィーを抱きしめていた。血の気を失ったミルフィーの顔がユミナの顔と重なっていた。
「そういえば、あの時の彼女と同じくらいの年頃か?」
ふとシモンはそんな事を考えていた。ミルフィーのまだ少女らしい幼さがどこそこ残っているようなその顔に、シモンは一層恐怖に落ちる。
「銀龍・・・お前の騎士が死にかかってるんだぞ?なぜ助けないんだ?・・・なぜ?・・彼女の生はこれからなんだろ?」
腐りきってしまった自分の人生。ミルフィーの人生は、それとは比べものにならないはずであり、これからの生のはずだ、とシモンは呟く。
「銀龍・・・なぜオレに立ち合わせるんだ?オレはこれ以上、お前に関わる者の死など見たくない・・・。」
少しも暖かみが増してこないミルフィーの身体をシモンは必死の思いで抱きしめていた。
そして、そのままいつしかシモンも眠りの中へと入っていった。・・・・・
「さ、寒い・・・・・・」
ミルフィーの意識は暗闇を彷徨っていた。手足が言うことをきかない、身動きができない・・・いや、身体全身の感覚がなかった。ただ、凍りそうな寒さだけを感じていた。
「あ、あたたかい・・・・・」
しばらくしてほわっとした温かさを感じ、ミルフィーはほっとする。暗闇の中ではあったが、身体に触れる温かさを感じていた。
(私・・・眠ってる?・・・)
そんな事を考えながら、ミルフィーの意識はゆっくりと覚醒していった。
(あたたかい・・・・・)
そして、身体に直接触れている温かさに安心感を感じた後・・・・・それがどういうことなのか考えたミルフィーはぎくっとして目を開けた。
(え?)
目を開けたミルフィーの視野に入ったのは、人の身体。・・・男の胸だった。
そして、身体が温かいと感じているのは、確かにその男の身体。しかも直接触れている。それに気づいた瞬間、ミルフィーの全身から血の気が失せる。
(わ・・わたし・・・・・・)
思わずがばっと身体を起こす。
「ん?」
ミルフィーのその急な動きが、シモンを目覚めさせた。
「あ・・・助かったのか・・良かった・・・・。」
目を開いているミルフィーに、シモンは安堵し、その次に、その状態にシモンも焦りを覚え、くちごもる。目の前のミルフィーは毒の時とはまた違った真っ青な顔で硬直している。
「あ、だから・・だな・・・・」
「あ・・・・・わ、私・・・・・」
そして、あまりにも想像を越えたその状況に止まっていたミルフィーの思考がようやく動き始めた。
剣の腕に関しては大の男でさえ叩き伏せるが、こういうことに関しては、人一倍奥手で純なミルフィーは・・・気が動転しているなどといったものではなかった。頭は蒼白状態。
「ま、待て・・落ち着いて聞いてくれ!」
焦って口走るシモン。が、この状態で落ち着けというほうが土台無理というものである。
「だから、だな・・・」
慌てて説明しようとするシモンは、次の展開に目を疑った。
そう、てっきりそこへうつぶせになりわっと泣き始めるのだろうと思っていた。何もしていないのだから泣かれるのも心外だし苦手だが、真剣に説明すれば、分かってくれるだろう、とシモンはその瞬間思っていた。が・・・ミルフィーの行動は・・・・シモンの予想を超えていた。
いろりの傍にかけて乾かしていた自分の服が目に入るのと同時に、さっとすばやくそこへ移動し、彼女は適当に身につけると同時に、やはり傍にあった剣を手にして抜く。
「げ・・・・・・」
シモンは焦る。それに対して、シモンはまだ裸のまま。そして、当然、剣は・・・・・傍にはない。
−ザシュッ!−
「わっ!わわわっ!」
涙目のミルフィーは明らかに自分を失っていた。そして、その状態で繰り出される剣は・・・・期待に反して確かなものだった。
−ザクッ!−
鋭い切っ先は確実にシモンを狙っていた。が、やはりいつもの彼女ではないのだろう。いつもの彼女なら、一突きでシモンの心臓を貫いていたはずである。
「ま、待てっ!オレは何もしちゃいないっ!」
−ブン!サシュッ!・・ガラガラガラ・・・−
が、ミルフィーのシモンの言葉は入らない。剣を避けたシモンの代わりに積んであった木材に当たり、音を立ててくずれる。
「ま、待てっ!オレは・・助けただけだぞ?手は出しちゃいないっ!」
−ブン!ドシュッ!・・・−
その繰り返しが数十分続いていた。
「はーっはーっ・・・・・」
ミルフィーもシモンも肩で荒い息をしていた。小屋の中は・・・もうめちゃくちゃだった。
そして・・・
「う・・・・・」
毒が完全に抜け切れていないのに激しい運動をしたミルフィーが、目眩を覚えてそこへ倒れた。
「ほらみろ、言わんこっちゃない・・・。まったく・・世話のやける・・・・」
ほっとしながら、シモンはそうっとミルフィーの傍に近づく。
「急激に動くからだぞ。今しばらくはじっとしているべきなんだ。」
ミルフィーが再び気絶したのを確認してから、シモンは服を身につけた。
「・・・このまま逃げた方がいいかな?」
ミルフィーの顔を見ながら、シモンはふとそう思った。が、すぐ思い直す。
(オレは別に誤解されたままでもいいんだが・・・抱かれてしまったと思いこんだままでは彼女がかわいそうだ。)
シモンは覚悟を決めてミルフィーの目覚めるのを待った。・・・小屋の中を少し片づけながら。
「う・・ん・・・・」
意識が戻ると同時に、ミルフィーはつい今し方のことを思い出し、勢い良く身を起こす。
「え?」
そして、目の前であぐらをかいているシモンを、ミルフィーは意外そうな表情で見つめる。
「さっきよりは落ち着いてるか?」
「あ・・・・・・」
そして、再びシモンの腕の中にいたことを思い出すミルフィー。
その青ざめたミルフィーを見つめながらシモンはゆっくりと話し始める。
「オレが信じられないというのならそれでいい。お前の剣でたたっ斬ろうが何だろうが気の済むようにしろ。」
すっとミルフィーの前に彼女の剣を置く。
「だが、そう思いこんでしまったままでは、あんたがかわいそうだ。オレは守護騎士に手を出すような勇気はないし・・・・それに・・確かにオレは腐りきったどうしようもない人間だが、毒が回って死の一歩手前にいる女に手を出すほど腐りきってはいないつもりだ。」
「・・・・シモン・・・・・」
シモンの瞳は真剣だった。しばらく黙って見つめ合っていたミルフィーは、彼が嘘偽りは言っていないと感じた。
「・・・ごめん・・なさい。」
それはそれとしても、あの状況は確かに恥ずかしい。しっかり抱きしめられていたことはまぎれもない事実。ミルフィーは真っ赤になりながら謝った。
「・・分かってくれたならそれでいい。」
「シモン、どこへ行くの?」
少し寂しそうに笑って立ち上がったシモンに、ミルフィーは慌てて声をかける。
「・・・もう大丈夫みたいだからな・・・」
そう答え、ギッと戸口を開けたシモンの背中は、このまま立ち去るのだと判断できた。
「あ、ありがとう。」
「いや。・・一応そこに置いてある毒消しを飲んでおくんだな。もう一回分くらいあるだろ?」
「あ・・う、うん・・・ありがと。」
「じゃな。」
ミルフィーに背中を見せたまま振り向きもせずシモンは小屋から出ていく。
「待って、シモン!話があるの。」
ようやくここへ来た目的を思い出したミルフィーがシモンに声をかける。
「オレにはこれ以上話すことは何もない。」
「あなたにはなくても私にはあるの。」
「なんだ、まだ信じられないのか?」
「あ・・ううん、その事じゃなくて・・それは・・・分かったわ。あなたを信じてる。カットなってしまったことは謝るわ。だから、それじゃなくて、ドワーフの・・・」
『ドワーフの』という言葉に、シモンの肩はびくっと揺れた。
「オレにはあんたに話すことはなにもない。」
「でも・・・」
「それに、オレはこれ以上ここにはいない方がいい。」
「なぜ?」
しばらくそのまま黙っていたシモンは、ミルフィーを振り向くと、にやっと笑って言った。
「今のあんたは死の一歩手前じゃないだろ?」
「え?・・・・」
「できたらあのまま離したくなかったってのが・・・本音・・かな?」
「シ、シモン!」
その言葉が何を意味しているのか、鈍感のミルフィーでも容易く判断でき、少し赤みが引きつつあった彼女の顔が再び真っ赤に染まる。
「ははは!そんなわけだ。じゃ、あんたはもう少し休んでから村へ帰るんだな。」
シモンの言葉に呼び止めるのも躊躇われ、ミルフィーはシモンが森の中へその姿を消していくのを、戸口に立ったまま見つめていた。
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