-続・創世の竪琴-
 その七:救世の月巫女  

 

 (イルーーーー!)
そして、その翌日?・・・・果たして一夜明けたのかどうか、そして、それが一夜だったのかそれとも数日過ぎていたのか分からなかったが、ともかくぐっすりと眠り、二日酔いが醒めてから渚は水鏡を通って人間界へと来ていた。

(あと少し・・・この茂みを抜ければ家が見えてくる。)
森の中の狭い道を走る渚の心は期待で弾み、心臓は、走っているせいとイオルーシムに再会できるというその期待との両方で、飛び出しそうなほど激しく大きく鼓動していた。
息が切れてきても足はそのスピードを落とそうとしなかった。はやる心に乗り、足は、渚は走り続けていた。

そして・・・
「はーはーはー・・・」
渚は山間に立つその家のドアを前にしばらく立っていた。このドアを開ければイオルーシムがいる。忘れようとしても忘れられなかった恋しい人、イルが。
渚は呼吸が落ち着いてくるのを待って、今一度大きく深呼吸する。
ドアを開ければ、たぶんそこにイオルーシムがいる。嬉しさとそして、恐いような気がしてドアを開けようとした渚の手は、その直前でまたしばらく止まっていた。
そして、意を決してドアに手をかける。
−バタン!−
「イルっ?!」
勢いよくドアを開け、イオルーシムの名を呼びながら入った渚の目に写ったのは、がらーんとして静まり返った部屋。
「・・・・イル?・・・いないの?」
奥にあるキッチンを覗く。両サイドのドアを開けてみる。天井裏への梯子を登ってみる。
だが・・そこにはイオルーシムの姿も、渚になついていたベビースライムのララもいない。
しかも、ここ数ヶ月誰も使っていないような状態。
「イル・・・ここで待っていてくれてるって思ってたのに。どこか行ってるの?」
呟いた渚ははっとする。もしかしたらニーグ村に下りているのかも知れない。
渚はその事に気付くと、くるっと向きをかえ、家を走り出た。

「村にいるのよね、きっと。・・でも、いなかったら・・・・」
走り始めた渚の思考を、ふとそんな不安がよぎった。
(ううん・・きっといるわ。だって、一人でいるのって寂しいから。村には村長さんやカーラや・・・ギームはいないけど・・見知った人たちがいるんだし、きっとララと一緒に村で賑やかに暮らしてるのよ。・・きっとそうよ・・・・きっと・・・。)
頭を振って不安を吹き飛ばし、渚は転がるように山道を駆け下りて行った。


「あ・・あれは・・・あれは、確か・・・」
勢い良く村へと走り込んでいく渚。その渚の姿を目に止めた村人は思い起こしていた。今少しで消滅するところだった世界を救ってくれたあの少女、月神の巫女だと。

「ごめんください!」
渚は村長宅の玄関先で息を切らしながら声をかけた。
「渚!」
「カーラ!」
戸を開けた村長夫人であるカーラの表情が驚きから笑顔に変わる。
「いつこっちへ来たの?」
「少し前よ。ねー、カーラ、イルはどこなのかしら?村にいるんでしょ?」
「え?」
会ったばかりでそんなことを聞くのもどうかとためらわれたが、渚の口から出た言葉はそれだった。
「どこって・・・・あなたのところに行ったんじゃ?」
「え?」
今回聞き返したのは渚だった。
「と、とにかくお入りなさい。」
渚を見かけた村人の口からあっと言う今に村中に彼女が帰ってきたことは知れ渡り、1人、2人と村人が集まってきていた。カーラは渚の陰った表情に悪い予感を受け、慌てて中へと入らせた。

「カーラ・・・イルは?・・・・」
居間に座ると同時に渚は今一度イオルーシムの事を口にした。他のことなど目に入らない。
カーラはそんな渚に、飲み物を持ってくるからと目配せで話すとキッチンへと向かう。どうやら再会を手放しで喜んでいられそうもない、と思いながら。

「2月ほど前だったかしら・・・毎日のように山から下りてきていたイルが顔を見せなくなったのは。」
カーラは渚をじっと見つめながら話しはじめる。
「それでね、おかしいと思って村人に見に行ってもらったの。病気でもしてるんじゃないかって思って。そうしたら・・・」
「そうしたら?」
「家はもぬけの空っぽだったのよ。何もかもそのままで、ただ住人がいない、そんな感じだったの。」
「そ、それで?」
「分かっている事はそれだけよ。イルは礼儀正しい子だから、黙って急にいなくなるわけないのだけど・・・でも、ひょっとしたらあなたに何か急な事があって、村まで来る暇なく、そのままあなたのところに行ったんじゃないか、って、うちの人と話してたのよ。」
だが、それがそうではなかったと目の前の渚の表情から、カーラは、そしてカーラの横に座った村長も悟る。
「じ、じゃー、イルはどこに・・・?」
渚の沈んだ口調の質問に2人は答えることはできなかった。


−ドンドン!−
「失礼!村長殿はいらっしゃるか?」
「あ、はい!」
その翌日、遅い朝食後、イオルーシムの事を考え居間でぼんやりとしている渚に、どう声をかけようかとカーラが思案していた時、戸口を勢い良く叩く音がし、彼女ははっとして席を立つ。
「突然失礼いたす。私は隣町の治安を預かっているイーハス・ダナムと申す。実は、こちらに救世の巫女殿がおいでだと聞き、夜を駈けてまいった次第なのですが・・・。」

渚が帰ってきたという噂はニーグ村だけでなく、あっというまに近隣の町村にまで広がっていた。王命により、隣町の治安を任されていたイーハス・ダナムは、渚を自分の館に招く為に、急ぎ馬を駆って来たのである。
その申し出は丁寧に断り、渚はイオルーシムのことを聞いてみる。
「はて・・・そのような若者の事は何も耳にしておりませんので。」
予想していた答えだったが、淡い期待を抱いて聞いたことも確かであり、渚は落胆の色を隠しきれず沈む。

そんなこともあり、渚の事はあっというまに国都まで伝わり、イオルーシムのことだけが気になっていた渚の思いに反して、国王の招待で王宮へ行くことになってしまった。


「イル・・・・・」
断ろうにも断れず、渚は今や救世の月神の巫女として豪奢な馬車に揺られ、兵士が守る中、国都へと向かっていた。
その神の巫女を一目見ようとする人々で埋まった賑やかな街道沿いとは反対に、渚の心は沈んでいた。


が、意外にもそれは国都へ着くと同時に、渚の頭から消え去ってしまう。
それは、渚への待遇のせいだった。
めいっぱい緊張した国王との謁見。人間は皆平等だというけれど、渚はやはり自分は一般人なのだと感じずにはいられなかった。
「あれが国王の貫禄っていうものよね。」
渚のために用意された貴賓室に戻り、渚はほ〜っとため息をついてイスに座っていた。
その部屋でさえも、緊張してしまうくらいの広さと立派な作りである。洗練された調度品、ふかふかの絨毯にイス。
そして、渚は謁見の前にドレスに着替えさせられていた。いわゆるお姫様ルックである。手を通すどころか見たことも触ったこともないような豪華なドレスとアクセサリー。腰をきゅっと絞めあげたコルセットがきつく、窮屈だとも感じたが、それ以上にお姫様ルックは渚を興奮させていた。
女優でもない限り、普通ウエディングドレスでしかそんなものは着られないし、たとえそれであっても本物の王女が着るような豪華で上質なものは身につけることなどできるはずがない。
鏡に映った自分がまるで別人のように思えた。
「馬子にも衣装ってこのこと?」
数名の女官の手によって着替えさせられ、鏡を見たとき渚はそう思っていた。


謁見の後のしばしの休憩後、国王主催の晩餐会。そして、翌日に舞踏会。
踊れないからと辞退する渚にやさしく指導してくれたのは、当然国王の子息である王子。
夢みがちの女の子なら一度は夢みるあこがれの王子様と豪華絢爛なる宮廷生活が繰り広げられていた。しかも、この世界で渚は神聖なる月神の巫女。誰もが腫れ物を扱うかのように丁重に、そして恭しく接する。
最初は、ただただ戸惑っていた渚も、2日、3日と過ぎていくうちに徐々にその自分に対する扱いにも慣れてくる。
周囲が人を育てるというのは本当で、1週間も過ぎた頃には、宮廷でのそういった生活にも慣れてきた。
と言ってもイオルーシムの事も忘れたわけではない。最初こそ目新しい宮廷生活に興奮していたが、やはり夜ともなると他に関心事もない。想いはイオルーシムと、そして、渚の帰りをじっと待つ闇世界の住人のことに飛ぶ。

国王の前ではあがってしまい何も言えなかった渚も、ようやく面前に出ることにも慣れてきた事と王子の助言もあり、渚はともかくイオルーシムの調査を依頼した。どこにいるのか、そして・・・無事なのか、どんな小さな情報でも欲しかった。

「共に世界を救ったお方が行方不明とは、それは渚殿もご心配であろう。なに、急ぎ触れをだし、国内はもとより国外にも調査を依頼致す故、お心安らかに、王宮にてごゆるりと朗報を待たれるがよかろう。」
が、快く渚の頼みを引き受けた国王の目論見は違っていた。世界を救った月神の娘、月巫女。渚本人の意思とは反し、国内のみでなく、今は完全に大陸内に浸透したそのカリスマ性は、民の心を掴む強力な武器となる。潰えてしまったファダハン王国や闇王の事件で領主を失い無法地帯となった地域や自治区として成り立っている町々など、特定の国の庇護に入っていない地域が少なくない大陸内で、渚の存在は確実に領土拡大に繋がると思われていた。
事実、一目渚を見ようと国内外から旅人は絶えず、そして、国賓としての招待状を携えた各国からの使者が入れ替わり立ち替わり王宮を訪れていた。


「ルードリッヒ。」
「はい、父上。」
「どうだ、渚殿のご様子は?」
「はい、以前と比べ気負いもなくなってきたご様子。ここでの暮らしもずいぶん慣れてこられたようです。」
「そうか。」
「それで、父上、イオルーシムとか申す若者の調査は?」
「ああ、それか。他ならぬ巫女殿の頼みじゃ。無視するわけにもいかぬ故、触れを出し、調査しておるが・・・・」
万が一見つかることはないだろうが、向こうから名乗りを上げてきた場合に備え、一刻も早く渚の心を掴むのだぞ、と国王は王子に目配せする。
「心得ております、父上。」
渚の想いは無視され、全く思もかけていない展開の様相を示していた。

「渚殿。」
「王子?」
宮殿の一室、バルコニーから満天の星空を見上げ、イオルーシムに想いをはせていた渚に、王子がそのバルコニー越しにやさしく声をかける。
「あまりにも星空がきれいなので、中庭の散歩でもどうかと思ったのですが。」
「あ・・でも・・私・・・」
「渚殿は月下蝶という花をご存じですか?」
断ろうとする渚に王子はその前ににっこりと微笑む。
「月下蝶?・・あ、いえ。」
「月明かりの下でしか咲かないという珍しい花で、まるで蝶のように美しく可憐な花なのです。今宵あたりが見頃だと庭師が言っておりました。ご覧になりませんか?」
「でも・・・」
「それとも、私では月巫女殿の散歩のお供としては役不足でしょうか?」
「あ・・そ、そんな事は・・。」
いろいろ気遣ってくれ親身になって話を聞いてくれる王子にここまで言われて断ることは失礼だと思い、渚はバルコニーの片隅にある階段を少しためらいながらも下りた。
「実は、渚殿にお見せしたくて、遙か東方の国から取り寄せたのですよ。」
王子は満足げに渚の手をそっと取ると、中庭へとエスコートしていった。

 



【Back】 【INDEX】 【Next】