「わー・・かわいい〜・・・それにとってもきれい・・・・」
中庭で渚は月下蝶の美しさに目を奪われていた。
淡色系の青、黄色、緑、ピンクそして白と色とりどりにまざって咲き誇るそれらは、まるで幻想的な蝶の舞いのようだった。
直径5cmほどの蝶の形をした花びらは、今にも羽ばたきを始めそうに思えた。
「きれいでしょう?」
「はい。」
大木の下の花壇。王子が差し出したランプの灯りに照らされた月下蝶は、まるで灯りに引き寄せられてきた本物の蝶のように美しかった。
その花壇のすぐ前にあるベンチに座り、渚はイオルーシムのことも闇世界の事も忘れ、見入っていた。
「まるで蝶の形をした宝石とでも言ったらいいのでしょうか。」
「はい。」
王子は、花に見入っている渚の横顔を見つめながら、そっと彼女のすぐ横に座る。
「でも、私にとってはあなたの方が・・・」
「え?」
途中で言葉を切った王子の方を渚は向いた。
「月下蝶は、確かに美しい花です。それはまるで可憐な乙女。でもそれは月があってこそ美しく咲き誇ることができるのです。美しく輝く月の恩恵を受けて。」
−どきっ!−
振り向いたすぐそこにあったドアップの王子の顔とその言葉に、渚の心臓が大きく鼓動した。
(お、落ち着いて、渚!)
大きく高鳴り始めた心臓に、渚は言い聞かせる。
柔らかな物腰と、金髪碧眼とはいかなくても明るい茶色の髪と瞳の目の前の人物は、話の中から抜け出てきたような王子ではある。が、渚にとっては、王子はイオルーシムなのである。王宮へ来てからずっと渚のことを気遣い、やさしく親切に接してくれていても、渚の会いたい人物は変わらない。
(王子なんだから・・何も私のような普通の子なんか相手にしなくても。)
そう思った渚は、あることを思い出す。
それは、ここでは渚は普通の女の子ではなかったこと。『月巫女』・・・本人の気持ちとは裏腹に、今や完全に渚の別名となっているそれは、過大誇張され、ありとあらゆる賞賛に修飾され、全てにおいて本人を遙かに上回った救世の人物。
ちょっとおっちょこちょいでどこにでもいるようなゲーム好きな女の子・・・という自分の世界の評価は、当てはまらない。
どう逆立ちしてもあり得ない本物の王子とのつき合いは、渚が世界を救った少女だから可能になったことであり、そこには素の渚自身はないように思えた。
「渚、私は初めてあなたにお会いしたときから・・・あなたこそが運命の人だと・・」
(ち、ちょっと待て!車は急に止まらない!)
渚は止まりそうなほど高鳴っている心臓を叱りつけていた。
(か、勘違いしちゃだめよ、渚!王子が見ているのは私じゃないのよ!救世の月巫女なんだから・・・・)
それでも、頬に、いや、顔全体に火照りを感じ、心臓はますます早く鼓動する。
まるで小説か映画の中のようなこの展開。女の子なら誰しも憧れるシチュエーション。その上相手は本物の王子様。(しかも、かなりカッコいい部類に入る。)文句なしのハーレクインロマンス!
−すくっ!−
渚をそっと抱きしめようとした王子は、不意に勢い良く立ち上がった彼女に多少驚きながらも咄嗟にその手を掴んで見つめながら立ち上がる。
「渚・・私ではだめなのですか?」
(だ、だれか・・・助け・・・)
有無を言わさぬ王子の態度。渚は心の中で思いっきりSOSを出していた。
うす茶色の瞳が月明かりを弾き、悲しげにそして熱っぽく揺れていた。あくまで静かに控えめにそして上品に。
いっそ乱暴に出てくれれば思いっきりビンタでも入れて逃げるところなのだが、これではそうもいかない。この状況でそれができる女の子がいたらお目にかかりたいものである。たとえ恋をしていなくても、胸をときめかさない女の子なんているはずがないと思われる完璧なまでの王子の捕獲作戦。それは獲物にそっとからみつく目に見えない甘いクモの糸。
心の叫びとは反対に、渚は身動きがとれなくなっていた。
(イル!)
−ぐらっ・・−
「え?」
王子の顔が一段と近づき、もうダメ?と思った矢先、不意に王子が渚に倒れかかってくる。
「失礼!」
「え?」
渚の上に覆い被さってくる直前、王子の身体は横にそれ、そのまま地面に倒れた。
「え?・・あ、あなた・・・・」
渚は倒れた王子と、目の前の人物を交互に見て驚いていた。
「ご無事でなによりでございます。月姫様」
渚の前に恭しく跪いたその人物は、他でもない、闇の浮遊城にいたミノタウロス。
「月姫様の叫びを聞いたように思ったものですから、急ぎ波長を合わせ馳せ参じました。」
「は、波長を?・・そ、それに王子は?」
つい今し方まで真っ赤だったその顔は完全に青ざめていた。王子になにかあったら一大事である。
「ご懸念には及びません。月姫様との約束でございますれば、傷もつけてはおりません。」
「で、でも・・・」
「眠っているだけでございます。」
そういえば、安らかな寝息が聞こえる、と王子をのぞき込んだ渚は納得する。
「しかし、このようなところに月姫様をおいておくわけにはまいりません。」
「え?」
渚は自分の目を疑った。月下蝶がふわりと茎から離れ本当に飛びたったからである。
「あ、あの・・・?」
「そもそもこの月下蝶は、闇世界の花なのでございます。闇世界へ侵入した人間どもが持ち帰ったのでしょう。ですが、ちょうどよいところにございました。このおかげでここへ来ることができ、そして、月姫様をお連れ致すことができます。」
「え?この花があるから?」
「この花が枯れるときは、闇世界へ帰るときなのです。その蝶の舞いに乗って帰ることができます。」
「・・・蝶の舞い?」
渚は自分の周りをふわりふわりと舞う月下蝶の美しさに見入っていた。
「え?・・・ここは?」
すうっと月下蝶がその姿を消したとき、渚は浮遊城の月神の間にいる自分に気が付いた。
「それに、一度向こうへお帰りになられませんと。向こうでの時が動き始めます。」
にこりと微笑んで言ったミノタウロスの言葉『向こう』とは渚の世界の事を意味していた。自分が闇の女王となるのを承諾する条件として、洋一のこと以外にも渚は思いついたことを立て続けに言ったのである。やけっぱちのそれらは、ほとんど聞き届けられていた。
その1、洋一を助け元の世界へ戻すこと。
その2、まだ家族や友人とのことなど割り切れていないから、向こうで騒ぎにならないように、時を見計らって帰してくれること。
その3、勝手に闇王を決めないこと。
その4、相手が闇の住人であろうとなかろうと、むやみやたらに殺さない、攻撃しない、脅かさない。
その5、人間界での探索は私に任せること。
「ホントに帰っていいの?」
まさか本当に帰してくれるとは思っていなかった渚は、ミノタウロスに聞き返す。
「月姫様との約束を反故にしてどうするというのでしょう?それこそここに留れなくなってしまいます。ですが・・闇王様ご不在の今、月姫様がこの世界から出られるということは・・確かに、闇世界そのものが不安定となりますが・・。」
「不安定に?」
「あ、いえ、大丈夫でございます。不安定と申しましても前月姫様のご意志に守られ、そして現月姫様であられるあなた様のお心がこちらに向いている今、以前のように無に浸食されることはありますまい。」
渚の表情が陰ったのを素早く悟り、ミノタウロスは付け加えた。
かといえ、無の空間になった場所を元に戻るわけではなかった。それは、そうするには、人間界でイオルーシムと力を合わせたように、闇王との協調が必要だった。心を一つにし、奏でる竪琴の音が必要だった。男神と女神の創世の竪琴の音が。
「そうよねー・・・彼らも生きてるのよね。みんながみんな悪者じゃなく、正直に一生懸命生きてる魔族だっているのよ。」
自分の世界に戻ってきた渚は机に頬杖をついて、窓の外を見ながら考えていた。
恐ろしい悪魔だとばかり思っていた闇の住人たち、魔族。確かに人間の魂を糧とする者もいる。人間界で人間を襲う者もいる。だが、それが全てではない。
「人間と魔族・・・仲良く暮らすってことできないのかしら?それができないなら、せめて不可侵条約でそれぞれ平和に・・・とか?」
あれこれ渚は一人で考えていた。
向こうの人間界で確かに1月ほど過ごしたのだが、帰ってみると一夜明けているのみ。これなら騒ぎにもなろうはずはない。
「それにしても、イルはどこにいるのよ〜?!」
心に思い描いた人を写してくれるという水鏡も、なぜか水面が濁ってイオルーシムを写してはくれなかった。
「闇の女王って・・・なんでもありじゃないのね?」
それも闇王がいなくて不完全だからなのだろうか?と渚は思う。
「闇世界の女王というんだから、なんでもできてよさそうなのに。イルの居場所さえ分からないなんて・・・・。」
それともシアラのように本物の巫女ではないから、やはり名ばかりの女王でしかない?と渚はふと思う。たとえ月神のパワーを得ることができても。
「姉貴、山崎さん。」
「え?」
こんこん!と軽くノックをして優司がドアの隙間越しにそう言って去っていった。
「お、おはよ・・・・」
のろのろと下りていくと、そこにばつの悪そうな顔の洋一がいた。
「おはよ。」
−し〜〜ん・・・・−
しばし気まずい沈黙が玄関を覆う。
「あ・・き、昨日はごめん。せっかく来てくれたのに・・オレ・・・」
「いいのよ、別に、そのことなら私は気にしてないから。」
−し〜〜ん・・・−
そして再び気まずい沈黙。
『あの・・・』
思い切って口を開けたとき、相手もまた同じく口を開いていた。
「あ・・何?」
「た、たいしたことじゃないから、部長・・先言って。」
「先って、言われても・・・・」
頭をかいてから、洋一は思いきって話す。
「き、今日は・・・・?オ、オレ、あいつらにまた今日も行くって約束しちゃったんだけど。」
「私は・・・・・」
洋一と行くのは躊躇われた。洋一は夢だと思っているからいいとして、渚はそうもいかなかった。
が・・・ゲームの先が気がかりではある。もしかしたら、イオルーシムの・・・そう、ゲームでは、前作の勇者がどう登場するのか分かるかもしれない。そして、それは向こうで本当になるかもしれない。
「部長がかまわないんだったら、行ってもいいけど・・。」
「ほ、ホントか?」
洋一の顔がぱあっと明るくなった。嬉しさで照れ笑い。洋一が悪いなどと言うはずはない。
「優司、ちょっと高校の部活に顔だしてくるから。」
「パソコン部?」
「そう。」
ダイニングで遅い朝食をとっていた優司は、渚が顔をだすと同時に警戒しながら答えた。そんなときの定例事項、ひょいっと上前はねられるからである。
が・・・・
「じゃ、行って来ます。」
「あ?」
渚はにこっと優司に笑いかけてからダイニングを後にして出かけていった。
「あ・・姉貴?」
その笑顔がそれまでに見たこともないような上品な微笑みに見え、優司はトーストを口にほおばりかけたまま、唖然とする。
「姉貴・・・だよな、今の?」
こっちの世界では一夜、だが、向こうの世界での王宮での生活の約1ヶ月、王子が、そして、周りがすっかり慣れてきたと判断したのも当然、渚本人が意識していないのみで、貴人の待遇で扱われているうちにすっかりそれが板についたというか・・・いつもと変わらずバタバタしているようでいて、ふっとした時のその仕草が、それまでと違っているように感じられた。
それはともかく、部活に顔を出したことで渚の疑問は解決した・・・・のではなく、その正反対の状況となった。
「どうして?闇世界の人たちだって生きてるのよ?闇があるから光があるんじゃない?光があるから闇があって・・・魔族だって悪人ばかりじゃないわ!人間だっていろんな人がいるみたいに、魔族にだって・・・。」
「おい!桂木!いいかげんにしろよ!」
「だって!」
ゲームの展開、つまり、どんなゲームにするのかで後輩ともめにもめてしまった。
「ごめんなさい・・」
「あ、いや、オレはいいけど。」
「オレたちが作るゲームなんだから!」
と最後に現部長にきつく言われ、渚は洋一に引っ張られるようにして部室を後にしていた。
前日の話だとRPGらしかった。が、それでは面白みにかけるから、ということで、今日の話では、アクションRPG、しかも、闇世界での展開であり、その大元である闇の紫玉をみつけだし破壊するのが最終目的のゲームに変わっていた。そして、当然そこに到達するためには、主人公の前に立ちふさがる魔族や闇王復活を計る闇の女王を倒して進む設定である。
「桂木・・・」
一応自宅まで送ったものの、終始無言で元気がない渚に、洋一はかける言葉が見つからなかった。
「姉貴・・なんかあったのか?」
「え?」
その日の夕食後、居間でTVを見ていた優司は、ぼんやりとしている渚に気づいて声をかける。
顔を合わせれば喧嘩ばかりしている優司だが、その日の渚の落ち込みようは普通ではなく、ふと心配になる。が、そこはいつもの喧嘩姉弟。心配とは相反して口からはからかい半分の言葉が出てしまう。
「ぼけーっとしてんなよな。そんなんだから振られるんだぞ?」
「なにそれ?」
「デートの約束は忘れるし、ぶすっとしてるし、おまけにそんなにぼけーっとしてたんじゃ、百年の恋も冷めるってやつなんじゃない?」
何のことだろう、と不思議そうに問いかけた渚におもしろ可笑しく答えた優司の言葉は、的はずれだとはいえ、渚をより一層深く沈ませるのに十分だった。
「あ・・?あね・・き・・・?」
『そんなんじゃないわよ!』と反撃してくるだろうと思った優司の思惑は外れた。いつもならムキになって機関銃のごとく言い返してくる渚が今日は、ぎゅっと唇を噛み・・その瞳からは涙がにじみ始めていた。
「姉貴!?」
くるっと背を向けそのまま自分の部屋に駆け込んでいった渚に、優司は言い過ぎた事に気づき青くなる。・・が、今更どうしようもない。ばつの悪そうな顔を残して優司もまた自分の部屋へ戻っていった。
(もしもゲーム通りに進むとしたら・・・・)
振った振られたなどどいう生やさしい問題ではなかった。創世の時のようにゲーム進行と向こうの世界での状況が同じだとしたら、それは最悪の展開となる。イオルーシムと再会どころか・・・戦わなくてはならなくなる・・?
(イルが・・・敵?・・私を殺すの?・・・)
暗く重い不安が渚を覆っていた。
「ううん・・イルならそんなことないわ。話せばきっと分かってくれるはずよ・・イルなら。それに、ホントにゲーム通りになるかなんて、分かりゃしないわ・・・ゲーム通りなんて・・・。」
不安を追い払おうと、自分にそう言い聞かせながら眠ってしまった渚の頬には、幾筋もの涙の跡があった。 |