横穴の奥の逆巻く渦の中へ入ったゼノーは、闇の気を纏っているとはいえ、そのすさまじさでいつしか気を失っていた。
気がつくとゼノーは、水中を漂っていた。
「ここは・・・グレンデルの沼ではないようだ。沼というより湖かな?と言うことは、第四層に来た、という事・・ですよね?」
闇の重圧が増していた。第四層に間違いないと思いながら、ゼノーはその湖の探索を始めた。ゼノーの身体は流されていた間に元の子供に戻っている。
その湖にはグレンデルのいた沼と違って水蛇は一匹も見つからなかった。いや、水蛇だけでなく、何もいなかった。ただ、透き通った水がどこまでも続いていた。そして外の光も届かないような暗い湖底に、眩いばかりに輝く宮殿があった。近づくと、それが無数の真珠で造られていた事が分かった。
ゼノーは宮殿の入口に立つと、しばらくその見事な造りに見とれていた。
「闇王様?闇王様でしょうか?」
宮殿の奥から女の声がし、ゼノーが覗くように見ていると、一人の女性が出てきた。
「闇王様、よくいらして下さいました。」
「何故私が闇王だと分かるのですか?」
「水鏡の精が知らせてくれました。第五層からの水流を通っておみえになると。」
「ここは、ヴォジャノーイ族の宮殿でしょうか?」
「はい、そうです。」
「では、その姿は偽りの物なのでしょうか?」
ゼノーはそれが化けているとは、信じれなかった。確かに肌は薄緑色、髪も緑だが、姿形は、整っていた。聖女のような気品さえ感じられ、とても蛙顔の半魚人とは思えなかった。
「ご存じなのですか。人間の姿の方が闇王様には、よろしいかと思ったのですが。」
少し悲しげな顔をしてじっとゼノーの顔を見るその女性に、ゼノーは一瞬どきっとしてしまった。その黒い目はシアラを思い出させていた。
「べ、別に悪いという事ではありません。グレンデルが騙されたと怒っていた事を思い出して。」
「グレンデル・・・ああ、渦の向こうの沼に住む巨人ですね。」
「そうです。彼からムーンティアを貰ったという人が一族の中にいるはずなんですが、ご存じありませんか?」
「このような所では・・どうぞ宮殿の中へお入り下さいませ。」
その女性は深々とお辞儀をすると、ゼノーの手を取り中へと歩を進めた。
宮殿の内側も全て真珠で覆われたいた。ゼノーはその美しさに見とれながら案内されていった。
ちょうど宮殿の中央辺り、そこはドーム状の大広間になっていた。そして、その中央には噴水があり、そこにある飾り台の上の水晶の中に、探していたムーンティアがあった。
「ムーンティアが!」
慌てて駆け寄るゼノーの前に、一人のヴォジャノーイが駆けつけ、跪いた。
「お願いでございます。今少しお貸しくださいませ。」
見ると、案内してきてくれた女性もその横で跪いている。
「貸せ、という事はどういう事なのですか?」
顔を上げたそのヴォジャノーイは、先の女性と全く同じ顔をしていた。
「双子・・なのですか?」
ゼノーは驚いて聞いた。
「いいえ、私たちはどちらも女王様の顔を模倣しているにすぎません。」
そう言うと二人は同時に本来の姿、蛙顔の半魚人に戻った。ゼノーはそのあまりにもの違いに眩暈を感じた。
「私は、エリオナと申します。」
「私は、サリオナ、私たちヴォジャノーイは女王様以外、皆この姿なのです。女王様は、肌も人間と同じ様に真っ白で、髪も目も銀色をしております。」
「その・・その女王様が・・・」
声を詰まらせ目を潤ませたエリオナの肩をサリオナはやさしく抱くと、ゼノーを真っ直ぐ見て言った。
「今、私たちの女王様は瀕死の床にあるのです。」
「瀕死の?」
「はい。」
ヴォジャノーイは女性のみの種族だった。子を宿す事ができるのは、その女王のみ。人間界にいる時は、その容姿で人間の男を騙して子種を得、子孫を増やしていた。
そして、ここ闇の世界でもそうしていた。が、半年ほど前、以前住んでいた湖が暗黒の崩壊の渦に飲み込まれそうになった時、女王はその力を振り絞ってこの湖へと宮殿諸共移動させた。ただ一人、宮殿の外に出、暗黒の渦にその半身を引き込まれながらも必死で力を振り絞った結果だった。
宮殿と一族が無事移動した後すぐ自分も移動したのだが、それから女王の身体に異変が起こった。美しかった銀の髪は白髪に、銀の目は濁って盲目となり、白かった肌もその艶を失せ青白くなってきていた。まだ若い女王に、そんな事は起こりうるはずのない事だった。
誰が考えても原因はあの暗黒の渦に引き込まれたせいだった。そして、治療方法もまた治る見込みもなく、確実にその命を縮めてきているのは、誰の目にも明らかだった。代々の女王はその命尽きる前、次ぎなる女王を産み、死んでいく。だが、今回は突然の発病で、子供は授かっていなかった。
そして何とかその寿命のあるうちに新しい女王の種を貰うべく、その姿を一時的だが元の美しい姿に戻してくれるムーンティアを必要としていたのだ。が、本来その身に着けるべきではないその玉は、持ち続けていると余計生気を取られてしまう為、休んでいる時は、そこに保管してあるのだった。
「それで、女王は何処に?」
「奥の離宮におります。少し前、水面から戻って来た所なのです。でも・・・多分駄目だろうと・・・女王様のお顔がすぐれなかったものですから。」
ゼノーはしばらくムーンティアを見つめ、それから女王の私室へ案内してもらった。
その部屋で、薄絹の向こうに女王は横たわっていた。
「女王様、闇王様をお連れしてまいりました。」
「闇王様を?」
薄絹の向こうの髪の長いやせ細った影が慌てて起き上がり、ゼノーの方を向いた。
「闇王様、・・このままお話するご無礼をお許し下さい。今のわたくしは、闇王様の御前に出れるような体ではござりませぬ故・・・」
「どうなのですか、女王?」
薄絹の手前に用意されたイスに座り、ゼノーは女王に話しかけた。
「はい・・・おそらく、わたくしは、もうあまり長くは・・・ないと存じます。一族の繁栄の為に次ぎなる女王はどうあっても必要です。でも・・・駄目なのです。ムーンティアの力を借り、姿を偽っても・・駄目なのです。男性を受け入れる気が全く起きないのです。このままだと一族が滅んでしまう、そう思って自分自身を奮い立たせようとするのですが・・何ともならないのです。それに、もう水面に出る気力さえも残ってはいないのです。」
「私では何か力になれませんか?」
ゼノーは薄絹の向こうでうなだれている女王にやさしく言った。
「ありがとう存じます、闇王様・・もし・・」
「もし?」
ゼノーは言いかけて止めた女王の言葉が気にかかった。
「いえ、何でもないのです。お忘れくださいませ。」
「話して下さい、女王、言いかけた続きを。」
「いえ・・それだけはご勘弁下さりませ。」
「いいえ、話かけたのです。最後まで聞かなくては私の気がすみません。」
しばらく黙っていた女王は、どうあってもゼノーの気は変わらないと判断すると、話すことを決めた。
「では、お怒りにならぬ、とお約束下さいますか?」
「勿論です。」
「では・・・つまり、その・・」
ベッドの上で額ずいた女王は、震える声で話した。
「もし、闇王様がお許し下されば、そのお種を、と思ってしまった訳なのでござます。申し訳ございません。とんだ不躾を申しあげまして。」
「・・・・・」
ゼノーには何と答えていいか分からなかった。
父と母がいて子供がいるということは知っている。が、実際にはそれ以上知るはずのない幼児だった。それ以外の事に関しては、大人に引けを取らない知識と思考力を得ていた。が、その事は、皆目不明のままだ。
ふと、ゼノーは薬の事を思い出した。
「私はまだ五歳の子供です。でも身体だけなら、大きくできます。それでは駄目ですか?」
「五歳・・・申し訳ございません。おそらくお身体のみでは・・無理・・かと。」
「そうですか・・。」
「女王様。」
傍に控えていたエリオナが二人の前に進み出た。
「何ですか?」
「はい、この第四層の最南部にウルザルブルンという泉がございます。その中央に世界樹ユッグドラシルの大木が生えています。その世界樹に住む三姉妹に頼めば、成長させてくれるかと存じます。」
「ノルニルの三姉妹ですか・・・確かに彼女たちなら可能かも知れませんが。」
「そこへ行って三姉妹に頼んでみます。」
ゼノーは気軽に答えた。
「闇王様・・で、でも・・・」
「そうしないと、一族は滅んでしまうのでしょう?大丈夫です、必ず大人にしてもらってきます。それに、私にとってもその方がいいのかもしれませんし。」
できるなら今後その必要性があっても、あの薬は二度と飲みたくないゼノーだった。
「で、では、お願い致します。水鏡の道をお通り下されば、すぐその泉に出れます。」
再びベッドの上で額ずくと女王は涙を流してゼノーに感謝すると共に喜んだ。
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