_/_/_/ その十・沼底の巨人、グレンデル _/_/_/
      


うっそうと植物が繁った森の中にあるその沼には、水蛇が群れを成して泳いでいた。
「けっこう大きいんだな・・・向こう岸があんなに遠くに・・・。」
相手は巨人という事で、少しでも大きいほうがいいと思ったゼノーは、その臭いと苦さに顔をしかめながらも、老婆にもらった薬を飲んだ。
沼の淵に座り込むとゼノーは意識を集中し、グレンデルに呼びかけた。彼の館はこの沼の底にある。エルフの老魔法使いによるとその館はあらゆる金属や宝石で飾られているという事だった。
が、日が沈んでも、再び日が登っても何の手応えもなかった。
「ふう・・留守なんだろうか?」
ゼノーは溜息をつきながら目を開けた。彼の体は元に戻っていた。
薬を無駄遣いしてしまったと思いながら、ゼノーは沼の淵の大木にもたれるとそのまま寝入った。

「ゼノー様、ゼノー様。」
聞き覚えのある声にゼノーはふと目を開けた。
目の前に立っていたのは、モーラだった。
「モ、モーラ?」
驚いてゼノーは起き上がった。
「ゼノー様、私、来てしまいました。」
「来てしまったって・・・まさか、デクアスヴァル王に黙って?」
「だって、ゼノー様のいない城になんて一時たりともおられませんわ。お願いです、一緒にお連れ下さいませ。足手まといになるような事は致しません。」
モーラが一度言いだしたら決して後には引かないことは、この半年間の城での暮らしでゼノーにはよく分かっていた。
「分かりました。でも、もし足手まといになった時は、構わず置いていきます。いいですね?」
溜息をつくとゼノーはできるだけ冷たく言い放った。
「はいっ!ゼノー様。」
彼女はゼノーの両手を自分の両手で包み込んで喜んだ。
「ふう・・・」
また溜息が出た。闇の世界が危機だというのに、その為に一刻も早くムーンティアを捜し出し、闇の貴石にたどり着かなくてはならないというのに、ダークエルフの王、デクアスヴァルは、ゼノーの足を自分の城に引き止め、その娘モーラとの仲を取り持とうとした事は、いくらその方面に鈍感なゼノーでも薄々察していた。そしてその思惑どおり、ゼノーに対して恐れしか感じてなかったモーラは、いつしかゼノーに好意を抱くようになっていた。が、当のゼノーは全くその気はなかった。薬で身体は大きくできるものの、心がそうなるには、まだまだ幼すぎたゼノーだった。

「そう言えばシアラは何をしているだろう?」
今のゼノーが考える女性と言えば、前闇王の想い人、一人浮遊城を守っている年老いた魔女だった。
(シアラの若い頃って、どんなだったんだろう?きっと綺麗だったんだろうな。闇王が愛した黒髪と黒い目の巫女・・・か。)
「ゼノー様っ?」
一人ぼんやりと考え事をしていたゼノーに、モーラが叫んだ。
「あ・・ああ。」
「何を考えてらしたんですか?」
ゼノーの考えていた事が分かったかのようにモーラは睨んだ。
「べ、別に・・・そ、その・・・この沼のどのくらいまで潜ればいいか、と思っていたんです。」
「この沼の中に?」
モーラの怒った顔は、沼の中に群がって泳いでいる水蛇を見た途端、恐怖の顔となった。
「へ・・蛇が一杯・・・ゼ、ゼノー様、こんな所に潜らなきゃならないんですか?」
「そうですよ。沼の底にある館に住んでいる巨人が持っているらしいんです。」
「こ、ここで呼ぶのでは駄目なんですか?」
「丸一日呼び続けましたが、応答ありませんでした。」
「じゃ・・留守なのかしら?」
「そうかも知れません。それとも、ぐっすり寝ているか、ですね。館が沼のどの辺りにあるのか分かりませんが、とにかく潜って探さないと。」
「わ、私、ここでお待ちしてます。」
モーラは震えながら言った。
「それが賢明でしょうね。でも、ここもあまり良い環境ではないと思いますが。蜘蛛は、大丈夫ですか?」
「蜘蛛ならなんともないわ、いくら大きくても!大丈夫、私、ここで待ってます!」
蜘蛛も苦手で城へ帰ると言い出すことを期待していたゼノーは、その言葉を聞いてがっかりした。
そして、ゼノーは彼女をそこに置いたまま、一人沼の中へ入った。彼女と話しているうちにふと、闇の気をまとえば例え水の中でも大丈夫なのではないかと思ったゼノーは、その意識を集中し、気をまとった。思ったとおり、水中でもゼノーは苦しくも何ともない。その上、水蛇はゼノーに襲いかかるどころか、館まで案内してくれた。
その沼底深く、宝石で装飾された館があった。ゼノーはその玄関に立つと扉を叩きながら、巨人を呼んでみる。
「グレンデル、グレンデル、いますか?」
何度呼んでも応答はなかった。仕方なく、ゼノーは闇移動を試みた。水中では無理かとも思ったゼノーだったが、何でも試みてみるもので、数十分気を集中し続けた結果、館の中に入る事ができた。

中は、水ではなく空気があった。そして、外側同様、内側も金銀宝石で飾られていた。その上、その調度品も全てそうだったのだ。
巨人とは聞いていたが、その調度品を見る限り、さして大きくない感じだ。
ゼノーは館の二階からぐおーぐおーと聞こえるいびきに引かれ上がっていった。
グレンデルが寝ていると思われる部屋の前に立ち、ゼノーは薬を飲んだ。そのままでは、ドアノブにも手が届かなかった為だ。
−コンコン−
「グレンデル?起きてくれませんか?グレンデル。」
「だーれだぁー?」
いびきが止まり、扉を開けたのは、大人の姿になったゼノーの二倍ほどの巨人だった。ぼさぼさの緑の髪、真っ赤な瞳、口まで下がった大きな鷲鼻、牙の突き出た大きな口、茶褐色の肌。その筋肉隆々とした身体にゼノーは一瞬どきっとした。
「ゼノーと申します。お休みの所、すみません。少しお尋ねしたいことがありまして。」
「尋ねたい事?」
「はい。」
グレンデルはその大きな目をぎょろっと動かし、ゼノーを観察した。
「下の客間に行ってろ。」
「はい。」
バタンと扉を閉めたグレンデルにゼノーは答えると、階下へ戻った。
ゼノーには少し大きく感じられたが、そこにあったイスに座ると静かにグレンデルを待っていた。しばらくして、キルトを履いたグレンデルがやって来て、どかっとイスに座った。
その上半身は何も身に着けていなかった。
「何を尋ねたいんだ?」
「はい、ムーンティアの事なんですが。」
「ムーンティアか・・・」
グレンデルはその目を閉じ、じっと考え込んだ。ゼノーは一見、ただの人間に見えたのだが、とりまいている闇の気が確かに普通ならざる者だということを現していた。それに、例え、この闇の世界の住人であってもこの沼の底まで来るのは容易な事ではなかった。しかも、館の中にまで入っているのだ。
「いいだろう、その在り処を教えよう。但しこの俺様を見事この沼から出せたらの話だ。」
目をかっと開き、ゼノーを見つめるグレンデルは、嬉しそうに見えた。
「それが出来なかったら、その命を貰うぞ!」
立ち上がったグレンデルに合わせて、ゼノーもゆっくりと立ち上がった。
「本当にあなたが、ムーンティアの在り処をご存じなら、いいでしょう。」
「俺は、嘘は付かん。」
「では、失礼します。」
軽くそう答えるとゼノーは戦おうと身構えたグレンデルに向けて両手をかざした。
「何だ、武器も持ってないのか?」
グレンデルは目を細めて笑いながら言う。
「あなたにはどんな強力な武器も効かないのしょう。その身体は鋼鉄の刃でさえも受け付けないはずです。」
「では、どうしようと言うのだ?その手から発する気で吹き飛ばそうとでも言うのか?お前のようなチビが?」
わっはっはっと大声で笑うとグレンデルは続けた。
「お前の身体は最高に美味そうだ。それに、その気、その魔力は、俺の力をより強力な物としてくれるだろう。さあ、出来るものならやってみろ!気が済むまで思う存分試すがいい。最後は俺様の餌食となるに決まっておる。まぁ、ゆっくり待ってやるからな。」
ドスンと床に座り込むと、腕を組んであぐらをかいた。
「その言葉、後悔しないでしょうね?」
「勿論だ。どう後悔すると言うのだ?お前が闇王様とでも言うのなら、話は別だが。」
ふふんと鼻で笑うとグレンデルは、目を細めてゼノーを見た。
「貪欲なのもいいですが、もう少し頭を働かせたらどうです?何故私がムーンティアを探しているか、考えないのですか?」
「ふん!この前もそれを聞きに来た奴がおった。そいつは、既に俺様の地肉となっておる。お前も直にそいつの後を追うんだ。」
「さあ、それはどうでしょうか?最も私も一発目であなたを沼から出せるだけの自信はありませんが。」
「構わん、気が済むまでやるがいい。どうせここまで来たんだ、俺様を倒す以外、ここからはもう出れん。逃げることは不可能だ。」
グレンデルは、さあやって見ろと言わんばかりに目を瞑った。
「では、失礼して。」
ゼノーは両手に気を集中した。
(飛べ・・・グレンデルの身体よ、沼から飛びだせーっ!)
必死の思いで、ゼノーは心の中で叫んでいた。
が、どうやら駄目のようだ。ゼノーは、一端集中を止めると、自分を落ちつかせるため、両手を下ろすと目を閉じた。
「どうした、やらぬのか?」
身動き一つしないゼノーに、グレンデルがしれを切らして言った。
「いいえ、これからです。どうもお待ちどうさま。」
じっとして自分の気を探り、自信をつけたゼノーはゆっくりと目を開けると、再びその両手をグレンデルに向けた。
「行きますよ!」
「ああ、勝手にやってくれ。」
あぐらをかいたまま、目も開けずグレンデルは投げ捨てるように言った。
「行けーーっ!!」
ゼノーが叫んだと同時に、グレンデルの巨体は館の天井を突き抜け、沼を突き抜け、空中に飛び上がった。
ーザッパーーーーン!−
「わっわっっわあああああ!」
まさかと思っていた空中のグレンデルは焦った。そして、その身体が勢い良く地面に落下し始めた時、その落下地点にモーラがいるのに気づいた。
「きゃあああ!」
余りにも咄嗟のことで、モーラは動けなかった。もう駄目、押しつぶされると思い、グレンデルの影の下、彼女は頭を抱えてうずくまった。
「あれ?」
彼女はそっと目を開けた。影はそのまま彼女を覆っていたが、落ちてこない。不思義に思って見上げる彼女にグレンデルが苦しそうに話しかけた。
「お、おい、早く退いてくれ。も、もう、持ちそうにない・・・早くっ!」
何と、グレンデルは、必死の思いでブリッジを作っていた。
「は、はいっ!」
慌ててその影から走り出たモーラにほっとして、グレンデルは地響きを起こし、そこに沈んだ。
「あ・・あの、大丈夫ですか?」
地面にのめり込みじっと倒れているグレンデルを覗き込み、モーラが心配して尋ねる。
「ああ・・・・・」
「起きれますか?」
ゼノーがいつの間にか沼底から上がってきていた。
「ああ、大丈夫だ。」
ゆっくりと身体を起こし、そこに座ったグレンデルはその間に湖から出たゼノーを見た。
「闇王様・・・か。本物の。」
ようやくグレンデルは確信していた。
「今まで偽物が多く来たという事ですか?」
「そうだ。」
「で、ムーンティアの事を話してもらえますね?」
「いいだろう。」
グレンデルはゼノーの前に畏まると話し始めた。
「確かに、俺の手元にあった。が・・」
「が?」
真っ赤になったグレンデルは頭を掻いた。
「俺は、どうも女に弱くてな、男なら一発でのして食べてしまうんだが・・それで、その・・ヴォジャノーイ族の、女にやってしまった。」
「ヴォジャノーイ族?」
「そうだ、とても綺麗な女だった。指輪にするから譲ってくれ、と。」
「ちょっと待って!ヴォジャノーイ族って言ったら、蛙の顔をした半魚人よ!あなた騙されたんじゃない?化けるのがとっても上手いって聞いた事あるから!」
「本当か、それは?」
驚いたグレンデルが叫ぶ。
「多分、そうだと・・・」
「くっそう!なんてこった!騙されたとは!この俺様を騙したなんて!あの、アマっ!」
グレンデルは地団太踏んで悔しがった。
「人間を騙すのならまだしも、同じ闇の世界に住む者を騙すとは!闇王様、是非あの腐れアマをこっぴどく罰して下さい!」
「わ、分かりました、分かりましたから、その大きな顔をそれ以上近づけないで下さい。」
真っ赤に怒った顔をゼノーにくっつけるようにして懇願するグレンデルに、ゼノーもたじたじだった。
「だいたい女なんて言うもんは・・・」
「悪い女ばかりじゃないわよ!」
モーラがきっとグレンデルを睨んだ。
「あっ、ああ、すまん。あんたは?えーと、・・誰なんだ?」
ゼノーにモーラとの関係を聞くグレンデル。
「ダークエルフの姫君です。ですが、私とは一切関係ありません。」
「そう・・か。」
グレンデルはほっとしたように、モーラの顔を見た。
「そうだな・・悪い女ばかりじゃないだろうな。・・・あんたは、とても優しそうだ。」
「な、何よ?急に?それに私はゼノー様の・・」
ゼノーはモーラが全部言わないうちに彼女の口を抑えた。
「ゼノー様の?」
グレンデルが首を傾けて聞く。
「い、いや、モーラはただ、城で世話になっただけで、それと、あなたが持っているらしいと教えてもらっただけです。」
ゼノーは焦りながら答えた。その気がないのに思い込まれると始末が悪い。
「もう!ゼノー様っ!」
一瞬ゼノーを睨んだモーラだが、ゼノーから睨み返され、びくっとしてそれ以上言うのは止めた。一緒に城で暮らすうちに忘れていたゼノーの恐さを思い出した。
「モーラ姫・・これ。」
グレンデルは嬉しそうに微笑むと、呪文でぱっと花束を出しモーラに差し出した。
「え?こ、これ、私に?綺麗!」
真っ赤になりながらモーラはその花束を受け取った。
「さっき落ちながら見た時から、そ、その・・・可愛い人だな・・・と。」
「それで、私を潰さないでくれたの?」
「あ・・ああ・・まぁ・・・」
グレンデルはその巨体を恥ずかしそうに、もじもじさせた。
「それで、そのヴォジャノーイ族はどこに住んでいるのですか?」
花束を挟んでお互い真っ赤になっているグレンデルとモーラの邪魔するようで、気が引けたゼノーだったが、聞かないわけにはいかない。
「この沼の底の方にある横穴が、奴らが住んでいる沼と繋がっているはずだ。」
グレンデルは、はっとしてゼノーを見ると答えた。
「それでは、案内願えますか?」
「勿論、と言いたいんだが、奴らの沼は第四層にあって、俺の魔力じゃ行けれないんだ。重圧で押しつぶされちまう。」
「では、その横穴の入口まで。」
「それなら合点承知!任せてくれ!・・それと・・あ・・あのその前に・・・」
「その前に?」
態度と言葉を改め、グレンデルは心配そうな顔で言った。
「あの・・私へのお咎めは?」
「咎めるつもりはありません。私も館を壊しましたしね。」
「あ、ありがとうございます!」
「良かったわね、グレンデル!」
グレンデルとモーラはお互いの顔を見合わせると微笑んだ。
「モーラ、第四層へ行ったら、多分ここには戻りません。あなたは、城に帰りなさい。そして、父王によろしく伝えて下さい。」
「はいっ!」
元気良く答えるモーラに、その反対を予想していたゼノーは面食らった。
「私、グレンデルがここに戻ってきたら、一緒にお城に行きます。いいでしょ、グレンデル?」
ゼノーからグレンデルに目を移したモーラは彼に微笑んだ。
「お、俺でいいのか?エルフと巨人だぞ?」
グレンデルは驚き、目を丸くした。勿論、ゼノーも。
「愛があるなら、種族の差なんてどおって事ないわ。」
グレンデルの顔を見てモーラは言い切った。そして、真っ赤になってうつむいた。
「あ、あの・・・私、まだ子供だけど・・・グレンデルさえ嫌じゃなかったら。」
「モーラ!」
答える代わりにグレンデルはモーラの前に正座し、彼女の頭に手をやると、そっとその大きな手で包み込み、彼女の顔を自分の方に向けさせた。もはや、二人には自分たち以外何も目に入っていなかった。グレンデルはモーラを自分の膝の上に立たせじっと見つめ合った。
「ごほん、ごほん!」
ゼノーが咳払いをして二人の注意を自分に向けさせた。
「お取り込み中、悪いんですが、横穴まで案内願えますか?」
「あっ、はい、はい。」
グレンデルはばつが悪そうに頭を掻くと、モーラを膝から下りさせた。
「グレンデル、待ってるから・・。」
モーラが熱い瞳で見送る中、ほっとしたゼノーと後ろ髪を引かれる思いのグレンデルは沼に飛び込んだ。
        

 

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