ゼノーは、ブラコスのいなくなったバルコニーに1人、ぽつんと立っていた。
「こうしてても何も始まらない。でもどうしたら地上に下りれるんだろう?それに、闇をまとうって?」
いろいろ考えながら、まず城の中でも見ようとゼノーは歩き始める。
水晶造りの城、ゼノーはその美しさに見とれながら探索を続けていた。
地下への階段を見つけたゼノーはその細い階段を下りていった。
その地下、ちょうど城の中心には広い部屋があった。そしてその部屋一杯に銀色に輝く巨大な魔方陣があり、その中心には、暗黒の炎が燃え盛っていた。
「黒い・・・炎?」
ゼノーはそれまで見たことのない真っ黒な炎を、入口に立ったままじっと見ていた。
「これは、これは、闇王様。」
真っ黒なローブを着た背の低い老女がどこからともなく現れ、ゼノーの前に跪いた。
「お前は?」
「はい、この浮遊城を預かっております、シアラと申す魔女でございます。」
「シアラ・・・で、この魔方陣は何?」
「はい、この魔方陣は月のパワーを吸収し、この城を浮かしているのでございます。」
「この魔方陣はお前の魔力で?」
「はい、その通りでございます。ご命令とあらば闇王様のご所望されます場所へ、一瞬にして移動してごらんにいれます。」
「この城には、他に誰かいるの?」
「今は、他には誰もおりません。全ては、闇王様の御心のまま。」
「そう。」
ゼノーはシアラの横を通り、中心にある黒い炎の前に立った。シアラは静かに立ち上がるとゼノーの後に従った。
「熱くないんだね。」
その炎に手をかざしながら、ゼノーは後ろに立っているシアラを振り向いた。
「はい。」
シアラは深々とお辞儀をして返事をした。
「どうしたの?」
その頭を下げたまま、なかなか上げようとしないシアラを不審に思ったゼノーは、彼女の顔を覗き込んだ。
そのシアラの目には涙が溢れていた。
「どうしたの、シアラ?」
慌ててその涙を拭おうと彼女の顔に充てた手を、その両手で包むように握りながら、シアラは再び跪いた。
「シアラ?」
「嬉しいのでございます。こうしてまたこの城に闇王様をお迎えする事ができて。私の命のあるうちにお会いすることができて。」
「命のあるうち?」
ゼノーはぎくっとした。もしやこのシアラもブラコス同様、自分を置いて消えてしまうのではないかと思い、思わずその手を握りしめた。
シアラもまた話し始めた。自分が、この世界の住民全部が、どれほど闇王の再来を願っていたか、闇王のいない間、どれほど心細く感じていたかを。シアラは前闇王に望まれてこの城へ来た、いわば闇王の思い人だった。
「私は人間たちから言えば、闇へ堕ちた巫女なのです。」
シアラはそのフードを取るとゼノーに顔を見せた。黒髪と黒い目の老女だった。
人間界にいる間、シアラは月の女神ディーゼに仕える巫女だった。それも、姫巫女になるはずの。が、一週間に及ぶ姫巫女になる儀式が始まる前夜、神殿の中庭に現れた闇王と、そうとは知らず一目で恋に落ちた。
姫巫女の心は純真でなくてはならない。が、闇王に心を奪われたシアラは、その結果、儀式を受けることができず、牢に幽閉の身となった。
闇王はその牢に幾重にも張りめぐらされた結界を破ってシアラを助け出し、この城へ連れて来たのだった。
「あの方は私の黒髪と目が特に気に入ってみえました。ですから、歳をとった今も髪は白くならず、こうして若い頃のように黒々としているのです。私は、あの方が亡くなった時、あの方からいただいたこの寿命を呪いました。何度も後を追おうとしました。でもいつか、新しい闇王様を迎えるまで、この城を守っていかなければ、あの方が愛したこの闇の世界を、あの方の代わりに見守っていかなければ、と思いなおしたのです。そして、その願いはこうして実現しました。こんな嬉しい事はございません。後は、後は・・・私の代わりとなる方を闇王様がお連れして来て下されば・・・そうすれば、私はあの方の元に行く事が・・・できるのです。」
シアラは涙を拭くとゼノーに微笑んだ。
「お前の代わりになる人?」
「そうです。それまで、私はこの城を守り続けていきます。闇王様のみ残して逝く事はございません。ご心配なさらないで下さい。」
シアラはゼノーの心配を悟り、やさしく言った。
「どんな人がいいの?」
「どんな方でも。闇の者でも人間でもいいのです。闇王様の御心のままに。」
「う・・・うん。」
ゼノーは、一瞬その脳裏にシャンナの顔が浮かんだような気がした。が、すぐ後、リーの事を思い出し、シャンナの事はすぐゼノーの心からかき消えた。
「そうだ、リーは、リーはどうしているだろう?」
「リー・・・様?」
「うん。僕の・・・弟なんだけど。」
「そうですか、では、こちらへ。」
再びそのフードを深くかぶると、その部屋を出て、シアラはゼノーを鏡の間に案内した。
「この水鏡がいいでしょう。この鏡の精にリー様がどうされているか映せとお命じなさいませ。」
部屋の中央にある銀の大鉢の水鏡の前に来るとシアラが言った。
「僕がやるの?」
そんな事したこともないゼノーは、やり方も自分がやれるのかも分からず、心配そうにシアラの顔を見る。
「はい。私の力はあの魔方陣に吸収され続けています。それに、私はリー様の事も知りません。」
「で、でもどうやって?」
「何事も闇王様の御心のままに。」
シアラは微笑むと深々とお辞儀をし、その姿を消した。
「シアラ?!」
「私は地下に戻っております。」
シアラも消え去ってしまったのか、と心配して慌てて周りを見回すゼノーの頭に彼女の声がやさしく響いた。
「ふう・・・」
ゼノーは大きく溜息をつくと、その水鏡を覗き込んだ。
周りに彫刻を施されたその銀製の大鉢に湛えられたその透き通った水は、ゼノーの顔を映していた。
「闇をまとい、強く念ずる・・・か。」
目を閉じると、闇の気を感じようとゼノーはじっと精神を集中し始めた。
(闇・・・真っ暗な闇・・・やさしく僕を包んでくれる闇・・)
ゼノーは自分の周りに闇が集まってくるような気がした。そして身体が少しずつ熱くなり、力が漲ってくるような気がした。
「水鏡の精よ、我が命を聞くがよい。そなたの主である闇王の命を。・・水を呼び、闇の道を通り、我が弟、リーの様子を映し出せ。」
やおらその目を開き、その淵に両手を充てると、ゼノーはまるで知っていたような口調で水鏡に命じた。
それまで鏡のように張っていた水面がざわめき始め、やがてそのざわめきが静まると、何処かの家の一室が映し出された。
「リー・・・」
ゼノーは思わず水鏡を覗き込んだ。そこに映っていたのは、ベッドに横たわるリーとその横に座るやさしそうな女の人の姿。
声こそ聞こえてはこないが、その2人が幸せそうに笑い、話している様子が手に取るように分かった。
−バシャッ!−
思わずゼノーは水鏡に右手を突っ込んだ。
その手はいや、全身が怒りで震えていた。
その目のそれまでの穏やかさは消え、嫉妬という怒りの炎が燃えさかっていた。
水面の波紋が微笑んでいる2人の姿をかき消していく。
あれほどの目に会っても、自分の事よりリーの事を心配していたのに、リーは自分の事など少しも心配せず、楽しそうに女の人と話している。自分の事など少しも気にかけていない。
そう思ったゼノーの心にリーに対する憎しみが生まれた。いや、それ以前に生じていたかもしれなかった。が、どちらにせよ、その時初めて、リーに対する憎悪をはっきりとゼノーは悟った。
リーの目は青い、自分と違って受け入れてくれる人がいる・・・嫉妬にも似た憎悪。
そして、それは、ゼノーの人間界への最後の絆、ただ一片残された愛情の消滅だった。
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