_/_/_/ その三・砕かれた希望 _/_/_/
      


 ソマー城・・・狼との約一ヵ月の旅の終点。
ガルデニア侯爵領西部の森の奥深く、今、二人の目の前には古びた小さな城があった。城というよりその四隅に三層の低い塔が付けてある普通の家より少し大きめの屋敷。
その壁は薄汚れ、一面に蔦が絡まっている。窓は少なく、二階に三つと塔の最上階にあるのみ。
二人はしばらく立ち止まったままこの城をじっと見ていた。彼らの脳裏には自分たちを拒絶したルチアの姿が写り、不安をかき立てていた。
「兄様・・・」
リーが心配そうな顔をしてゼノーを見た。
「・・・リー、お前が先に行っておいで。僕はリリーたちと待ってる。」
ゼノーは考えていた。紫の瞳のせいで自分が悪魔の子と言われた事を。再びルチアの時と同じように母親にも拒絶されるのではないだろうか、と恐れていた。そして、リーだけが行ったほうがいいだろうと判断したのだった。
「でも・・・」
リーは困った。ゼノー一人置いて自分だけ行けれない。
「僕は・・後で会うよ。先にリーが会って僕の事を話してくれればいいよ。この少し先の原っぱでリリーたちと待ってるから。」
ゼノーはそう言うと来た道を指して微笑んだ。
「うん。」
しかたなくリーは返事をすると、狼を連れて来た道を戻って行くゼノーを見送った。
「よーし・・・」
ゼノーたちの姿が見えなくなるとリーは深呼吸してから、城の扉の前に立つ。
−ドンドンドン!−
意を決して扉を叩いた。
「誰もいないのかなぁ・・・?」
しばらくそのまま待っていても返事もなく誰も出てくる気配がせず、リーは心配になってきた。
−ドンドンドン!−
もう一度叩いてみた。
リーがもう引き返そうかと思いはじめていた時、扉が軋みながら開き、中から白髪の老婆が出てきた。
「どなたですか?」
その老婆こそフローディテの乳母、セメだった。彼女は狂人となってしまったフローディテを心配したあまり、その歳以上の風貌になってしまっていた。
「あ・・あの・・・あの僕・・・・」
リーは何と言っていいのか分からず困っていた。ただそこに立ちセメを見ていただけだった。
「まぁまぁ、道にでも迷ったの?あなた一人?」
セメは、服が破れ汚れきったリーを見ると急いで中へ入れた。
「あ・・あの・・・」
「今お風呂を沸かしてあげますからね。」
根っから世話好きのセメはいそいそと準備をし始めた。
リーはそんなセメに母親の事を聞く事も忘れ、唖然として突っ立っていた。
「さあさあ、こっちへ。」
有無も言わさずセメは準備が出来た浴室へ連れていくと、ぱっぱっと衣服を脱がせ、ゴシゴシ洗いはじめる。リーは呆気に取られたままなすがままにされていた。
風呂からあがり着替えもしてさっぱりとしたリーは、どことなく品があるように見えた。
「さぁこれでよし、と。綺麗になったわ。じゃ、こっちに掛けて。」
セメはリーにイスを薦めると温かいミルクとふっくらとした白パンを持って来た。
「さあ、おあがりなさい。」
「あ・・あの・・僕。」
リーはやさしく接してくれるセメに戸惑った。
荒野の家を出てからこんな事は一度もなかった。
「いいから、お食べなさい。」
目の前のおいしそうなパンとミルクの匂いに堪えかねたリーは、貪るように食べ始める。
「お代わりはいくらでもありますからね。」
ミルクのお代わりをもらい最初に出されたパンを平らげようやく落ちついたリーは、ゼノーが待っている事を、母親の事を聞かなくてはいけない事を思い出した。
「ごちそうさまでした。あの、僕・・僕、リーって言います。」
「そう、リーって言うの。で、何故一人でこんな所に?お家の人は?森の中ではぐれてしまったの?家は何処?」
テーブルの真向かいに座ったセメは微笑みながらリーに聞いた。
「ぼ、僕、兄様と・・・。」
リーは、もし全部話したらこのやさしい老婆はどんな態度を取るだろうと思いながら、心配そうな顔をしてセメに言った。
「まぁ、お兄様とはぐれたの?」
セメはそのやさしそうな目を見開いて言う。その目は慈愛に満ちていた。
「ち、違うんです。兄様は・・・お城の外に・・」
リーはそのセメの目を見ながら次に言うべき言葉を探した。
「まぁ、お兄様もいるの?二人して迷子になってしまったのね。それならお兄様も一緒に来ればよかったのに。怪我でもして歩いて来れないの?」
立ち上がったセメはその子を一緒に連れに行こうとでもいうように、リーに手を差し延べた。リーはここまで来る村々では一度として体験したことのないこのセメの優しさに、この人なら心配いらないかもしれない。この人ならきっと自分たちの事も温かく迎えてくれる、そう思いはじめていた。
「ううんそうじゃないんです。・・あの・・僕が呼んできます。」
初めて微笑んだリーにセメはほっとすると頷いた。
「そお?じゃ、呼んでらっしゃい。」
「はい!」
リーは元気良く答えると外に飛びだした。

「兄様ぁ!」
遠くにゼノーの姿を見つけるとリーは大声で呼んだ。
「はあはあはあ・・」
「リー・・・」
息を切らして走ってきたリーの服装を見てゼノーは驚いく。
「ごめんね、兄様。遅くなっちゃって。見て!お城にいたおばさんがお風呂に入れてくれて服まで換えてくれたんだよ。でね、でね、白パンとミルクまでごちそうになっちゃったんだ!兄様にも早くおいでって!」
ゼノーはその予想外の好待遇に戸惑った。いや、それ以上に不安を募らせていた。
「リー、僕たちの事、きちんと言ったの?」
「あっ・・・そ、それは・・・」
言いそびれてまだ何も言ってなかった事を思い出し、リーの顔が曇った。
「まだ・・なんだね?」
「う・・・ん。」
ゼノーが念を押すように言うと、リーはすまなそうに頷く。
「でも、でもとっても優しい人なんだよ。だから・・だから、僕、大丈夫だと・・。」
一生懸命に言い訳をするリーを見ながらゼノーは考えていた。双子とは言え、リーより少し背も高く体格もいいゼノーは、兄として何をするにつけても身体の弱かったリーの事を一番に考えていた。そして、荒野での出来事とこの一カ月間の旅はその意識を一層強め、それに加えて、その思慮深さは、それまで知らなかった猜疑心も加え、ますます慎重さを増してきていた。
それと、全ての原因はおそらく自分であり、リーだけなら全てがうまくいくのでは?という考えがいつの間にかゼノーの頭から離れなくなっていた。だから、今回も、多分リーだから良かったんじゃないか、自分が行くと、もし、紫の目をした自分が行くと・・こんなに良くしてもらっているリーまでまた追い払われるんじゃないか。
自分さえいなければリーは普通の子として、もしかしたら可愛がってもらえるんじゃないか、リーだけでも幸せなら、リーにはもうこんなひもじい暮らしは続けさせたくない、そう考えたゼノーは無邪気に喜んでいるリーに言う言葉が思い当たらなかった。
「兄様、早く行こうよ。ねっ、きっと大丈夫だよ!リリー、ゼノアもおいで!」
「リ、リー・・・」
ゼノーがそんな事を考えているとは思いもしないリーは、狼の親子にも声をかけるとゼノーの手を引っ張るようにして城へ向かい始めた。そして、もしかしたらという希望も完全には捨てきれないでいたゼノーも、考えている事とは反対に城へと足が向いていた。

リーがゼノーを呼びに行っている間、セメはじっとイスに座っていた。リーという名が心の何処かにひっかかって気になり、それが何だったのか思い出そうと必死に考えていた。しばらくしてその名前に思い当たった彼女は、自分の顔から血が、さあっと引くのを感じた。
それは、忘れようと自分から遠い記憶の彼方に無理やり押し込んだもの。が、同時に決して忘れ去る事が出来ないものでもあった。
「リー、そして、そして・・ゼノー・・」
セメは震える声で呟くとガタっと立ち上がった。
「な、何故すぐ気がつかなかったんだろう・・・会わせては、フローディテ様に会わせてはならない・・・。」
せっかく最近は随分落ち着きを取り戻してきているというのに・・。
セメは急いで扉を閉め、閂をかけてしばらく扉を凝視していた。が、ふと思い立ったように厨房に行き、白パンの入っているバスケットを取ってくると扉を開け、そこにそれを置いて再び閉めたのだった。

−ドンドンドン−
じっと息を殺すようにして扉を見ていたセメがその音でびくっとした。
「リーです。兄様を連れてきました。おばさん。」
ードンドンドン−
いくら呼んでも応答がない。
「おばさん!おばさーんっ!」
さっきはいたのに、とゼノーに言いながらリーは扉を叩きながら呼び続けた。
中ではセメが早く立ち去ってくれることを祈りながら扉を凝視して立っていた。
「リー・・・」
ゼノーが扉の片隅にパンの入ったバスケットが置いてあるのを見つけ、全てを悟ったようにリーの名を呟いた。
「さっき僕が食べた白パンだ・・・。」
さすがのリーも全てを察し、扉を叩くこともセメを呼ぶことも止め、リーはゼノーの指し示したそのバスケットをじっと見つめた。
二人はしばらく黙ったままじっとパンを見ていた。それが二人へのせめてもの情け。精一杯の気持ち。
「どうしたのです、セメ?さっきから外が騒がしいようですけれど。」
中からフローディテの声がした。咄嗟にリーは扉の前に立ち、そして呼んだ。
「母様!」
その途端、フローディテの全身が硬直した。彼女はその声だけで、それがあの忌まわしい我が子だと悟った。穏やかだったその青い瞳が恐怖の色に染まり、徐々に焦点が合わなくなってくる。
「あ・・・あ・・・・」
「フ、フローディテ様!」
セメは、こめかみを押さえ狂気へと走っていくフローディテを抱きしめ叫んだ。
「こ、侯爵様が・・あ・・あ・・悪魔の、悪魔の目・・・いや、いやあああああ!」
セメの腕を振りほどき彼女を突き飛ばすと、フローディテは目の前だった扉を開け外に、リーとゼノーの目の前に飛びだした。
「か、母様?」
「ヒィッ!」
何が起こっているのか全く分からない二人は呆然とそこに突っ立ち、恐怖で引きつったフローディテは、ゆっくりとゼノーを指さし、震える声で言った。
「あ・・悪魔の子・・・悪魔の子が・・私を殺しに戻ってきた・・・そう、殺しなさい、何もかもみんな殺してしまえばいいのよ・・ふふふ・・ほほほほほ・・・おーっほっほっほっ!」
「フ、フローディテ様!」
セメは慌てて近寄ると、ゼノーを指したまま笑いつづけている彼女を今一度しっかり抱きしめた。
「フローディテ様、お気をしっかり!フローディテ様っ!」
セメは他に術も思いつかず、思いっきり彼女の頬を叩いた。
「!」
一瞬彼女は我を取り戻したかのように笑いを止めた。
「フローディテ様?」
セメがその腕の力を少し緩めた時だった。
「いや・・・いや、来ないで・・・来ないでぇーっ!」
恐怖に震えたフローディテは後ずさりしながら叫ぶと、くるっと向きを変え城に駆け込んで行った。
「こ、この悪魔!お前たちの為にフローディテ様は・・・・は、早く何処かへ行っておくれ!二度と来ないでおくれっ!」
セメは二人を睨みそう叫ぶとフローディテの後を追って城に入り、バタンと大きな音をたてて扉を閉めた。
二人はしばらく身動き一つせず、言葉を失い呆然としてそこにたたずんでいた。
もしかしたら拒絶されるかもしれないとは思っていたが、その出来事は二人の予想をはるかに上回る、悪夢だった。
    

 

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