【その7】彷徨う心

 

 「ミルフィー?!」
ミルフィーとカルロスは異空間をものすごいスピードで流れていた。その圧力に身を裂かれないよう、ミルフィーは風術による結界を張り、カルロスはミルフィーと別れ別れにならないように、しっかりと彼女の身体を抱きしめていた。
「・・・カルロス・・・・」
「大丈夫か?力を使いすぎなのではないのか?」
そのカルロスの腕の中で、明らかにミルフィーは衰弱していた。
「だい・・じょうぶ・・・少し疲れてる・・だけ。」
「ミルフィー!」
少し疲れているとは言い難かった。ミルフィーは明らかに精神力を使いすぎていた。が・・・今術を解くということは、二人の死を意味していた。
(なぜ、オレはこんな肝心なときに何もしてやれないんだ?)
術師でないことを呪ったのはこれが初めてだった。自分が剣士であることを誇りに思っていたカルロスは、それまでそんなことは感じたことがなかった。軽い回復魔法・・・カルロスにはそのくらいしかできなかった。が、今の状況ではそれすら使えない。
「ミルフィー!しっかりするんだ!目を開けろっ!・・オレを見ていろっ!」
悲痛な思いでカルロスはミルフィーに呼びかける。
「・・・カ・・ルロス・・・だいじょう・・ぶ・・。」
閉じていた両目をうっすらと開け、ミルフィーは消えそうな声で応えた。
「私はどうなっても・・・あなただけは・・元の世界に・・」
「な、何を言うんだっ?!」
「あなた・・には・・感謝してる・・いつも・・」
「ミルフィー?!」
再び目を閉じたミルフィーをカルロスは必至になって呼ぶ。
「・・・いつも、ありがと・・・それから・・・ごめん・・なさい。」
「何をバカなことを!」
それじゃまるで死んでいくみたいじゃないかっ!という叫び声をカルロスは飲み込んでいた。それを口にすることは、まるでその事を認めるような気がし、カルロスにはその先が言えなかった。
その代わりにカルロスはぐっとミルフィーを抱きしめる。何もできない自分を呪いながらも・・・それしかできない自分が、これ以上ないほど情けなくそして悲しく感じながら、祈るような気持ちで彼女を抱きしめていた。


異空間の中を流れ行く水魔の精神体の猛烈な流れは、それからしばらく続いていた。
結界を張り続けることで精神力を消耗し、憔悴しきったミルフィーよりカルロスの方が死人のような表情をしていた。そのカルロスの必至の呼びかけにも、徐々に応えなくなってきていた。
「ミルフィー!頼む・・・逝かないでくれ。オレなどどうなってもいい。・・・お前がいなくなったら・・・お前のいない世界など・・意味がないだろ?ミルフィー!」
時折風圧が急に襲ってくる。それは流れのほんの数十分の一の圧力なのだろうが、それでもぐっと全身に襲いかかってくる。そして、その瞬間小さく呪文を唱えるミルフィーに、命の灯火の確認はできた。が、それがいつまで続けられるのか・・・カルロスは一度唱える毎にその灯火が小さくなっていくような気がし、生きた心地がしなかった。
そんな中、カルロスは、塔で初めて会ったとき、魔の瘴気にあてられたミルフィーを必死の思いで外まで運んだ事を思い出していた。その時の焦りと恐怖。それ以来こんな事は感じたことはなかった。・・・いや、その時以上のものを感じていた。


そして・・・
−ギュオ〜ッ!−
流れが急に渦を巻き始め、その中心へと引きずり込まれていく中、カルロスはミルフィーを離すまいと渾身の力で抱きしめ、必至の思いで祈っていた。


「やー・・・ようやくお目覚めか?」
「ん?」
気づいたカルロスの目に、レオンの顔が写っていた。
「ど、どうしたんだ・・・オレは・・・・」
がばっと上体を起こしてカルロスは考える。
「もしかしたら・・今までのは夢?」
(塔内で倒れたのだろうか?)
が、その部屋は見覚えがなかった。
「いい体験じゃなかったみたいだな?」
カルロスの表情を見て言ったレオンの言葉と彼の表情で、つい今し方の事が決して夢ではなかったのだと悟ったカルロスの心臓が踊る。
「ミルフィーは?」
「隣の部屋にいるが。・・お、おい、カルロス!」
レオンの止めるのも聞かず、カルロスはふらつく身体を引きずって部屋の外に出ると、隣のドアを開ける。
「・・・ミルフィー・・・・・」
そこには、ベッドに横たわったままのミルフィーと、その傍らに座り心配そうな表情で見つめているレイミアスとミリアがいた。
「ミルフィーは?」
力無い声で聞いたカルロスに、レイミアスはゆっくりと首を横に振った。
「そ、そんな・・・・そんなバカなっ!」
慌ててベッドに駆け寄ったカルロスにレイミアスは小さく言った。
「身体の疲れは、ぼくの術で取り除いてあります。・・でも・・・・」
「でも?」
「心が・・・精神がないんです。」
「なん?」
「ミルフィーの精神体が・・・離れたままで・・・。何度呼び寄せようとしても・・・・」
「そ、それは・・・?」
死ではないのか?と自分を見つめたカルロスに、レイミアスは力無く首を振る。
「いえ、今はまだそうではありません。」
「今は・・まだ?」
「はい、今は身体から出て留守の状態なんです。でも・・・この状態が続けば・・・。」
悲痛な表情でレイミアスの言葉を反復したカルロスに言ったレイミアスの答えは、確実に彼をより深い絶望へと落とした。
「カルロス、何があったの?ね、ミルフィーに何が?」
「そう急かすんじゃない、ミリア。カルロスだって疲れきってるんだ。」
戸口から入ってきたレオンが、すがりつくような視線でカルロスを見つめるミリアをたしなめる。



塔でミルフィーとカルロスの姿が消えてから、レオンたちはなんとか居所を掴もうと必至だった。サラマンダーの国からミリアも呼び寄せて大騒ぎしていた。
そんな中、シャイのエルフとしての感、そのひらめきにより、塔から遙か離れた南国にある沼地、水魔が潜むといわれるその沼地に帰ってくるかもしれない、ということがわかった。現実にそうなるかどうか確信はなかったが、ともかく彼らは急いでここまで旅をしてきた。そして、その沼地近くの村で、水魔を倒す依頼を受け、倒そうと沼の奥へ進んだとき、空が避けたような急な豪雨と共に、ミルフィーを腕にしっかりと抱えたカルロスが落ちてきた。
あとは、2人を水から引き上げて村まで運び、村長の家であるここで世話になっていた。

「う・・・・」
ミルフィーの横たわるベッドの横に座り、カルロスはレオンの差し出した薬湯を飲んでいた。そのあまりにもの味に、思わず声がでる。
「で・・・何があったんだ?」
ミリアと異なり、口調は落ち着き静かだったが、明らかにレオンも焦り、そして急いでいた。
「いや・・何があったと言われても・・・・」
カルロスは水魔を呼び寄せ、それを倒すことによってこの世界へ帰って来たことを要約して話した。
「なるほど・・・・・異空間か・・・その時には話ができたってことは・・・・とすると・・・・」
「とすると?」
「おそらくミルフィーの心はそこに留まってるんだろう、その異空間に。」
「そうとしか考えられないです。この世界にいるのなら、ぼくの呼び声に応えるはずです。」
レオンの言葉を受けて頷くレイミアス。
「でも、なぜなんだろうな?」
「『なぜ』・・・ですか・・・・・」
しばらくレイミアスは考えてから答えた。
「考えられるのは・・・何かミルフィーがものすごく気がかりな事が転移先の世界にあったとしか・・・それも、離れられないような強い思いが・・・」
「つまり、帰ってくる途中、ふとそれを思い出して振り返り、無意識に心が離れてしまったってことか?」
「そうだと思います。精神を飛ばした直後だから離れやすくなっていたんでしょう。」
レイミアスとレオンの会話に、カルロスは愕然として、言葉を失っていた。


3人は立ち上がったまま押し黙ったカルロスを見つめて彼の答えを待っていた。
「気がかりか・・・・・・」
窓辺から外を眺めながら、ゆっくりと口を開いたカルロスの表情は、苦痛にゆがんでいた。
「ミルフィーは・・・向こうで恋をした。」
「え?」
「は?」
「ええー?」
「思いが飛ぶのも当然だろう。・・・二度と会えんのだからな。」
「そ・・んな・・・カルロスがついていて・・・」
「オレじゃダメなんだっ!」
その呟きに思わず怒鳴ったカルロスに、ミリアは驚く。
「す、すまん・・・・」
「あ・・ううん・・・・。」
心ないことを言ってしまったと、ミリアは後悔していた。ミリアもカルロスの気持ちは知っている。どれほどの思いで、他の男を見つめるミルフィーを見ていたのだろうと、ミリアはカルロスの心を思い、沈んだ。
「オレは・・何もしてやれなかった・・・・異空間でも、命を削って結界を張り続けているミルフィーを見ているだけで・・・何も・・何もできなかった・・・・」
ダン!と窓辺を激しく叩き、カルロスはやりきれない思いをぶつけていた。
「オレは・・・・」
カルロスの握りしめた拳が・・全身が、彼自身に対する憤りで震えていた。
彼の気持ちを思い、3人は言葉もなくそんなカルロスを見つめる。

「それはともかくよ・・・・」
その重い沈黙をミリアが破った。
「ミルフィーの心を探して肉体に戻さないと!」
その言葉に他の3人ははっとした。過ぎたことを嘆くのは後でもできる。が、今はミルフィーの精神を取り戻すこと、その方が重要だった。

「しかし、異空間なのだぞ?しかもどこにいるのかもわからない。」
しばらく考え込んでいたカルロスが呟く。
「そうよね・・・世界と世界の狭間なのよね・・・・どうすれば行けるのかしら?・・・」

時間はあまりない。ぐずぐずしていたら、精神のない肉体はその機能を停止してしまう。そうなったら・・・例えミルフィーの精神を探し出したとしても、意味のないことになってしまう。

・・・・・重い沈黙が部屋を覆っていた。

**青空#134**


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