【その5】逃げ

 

 「ミルフィー?」
「なーに、セクァヌ?」
そんなことがあってから数日後、珍しくセクァヌが不満げな表情でミルフィーを見つめる。
「最近シャムフェスといる事が多いのね?」
「え?」
「馬術だってアレクを断ってシャムフェスにつけてもらってるでしょ?・・・カルロスはどうしたの?」
「だって馬術はシャムフェスの方が優れてるって言ったのはアレクシードよ。
それに彼の剣の腕も相当なものよ。いろんな人としてみるのはいいものよ。」
「・・・それは分かるけど・・ミルフィー、・・カルロスは?」
「だから・・前にも言ったでしょ?・・そう思っても好きになれるわけじゃないし、
好きでもないのに、そんなに思わせぶりな態度でいるのも・・・・」
「でも・・・」
「仕方ないのよ・・・と言うより・・・」
「というより?」
沈んだ表情で言葉を切ったミルフィーを、セクァヌはじっと見つめる。
「・・・重いの・・・・・。」
「・・・重い・・」
「カルロスの気持ちが・・・今の私には・・重すぎるの。・・・それが分かってるから、カルロスも私の前に姿を現さないんだと思う。」
「いいの?ミルフィー?」
「『いいの』って・・・じゃー、どうすればいいの?好きでもないのに、彼に・・・」
いつの間にか感情が高ぶっていた。無意識にきつい視線でセクァヌを見てしまったミルフィーは、彼女の瞳に写った自分の姿にはっとして、言葉を切る。
(情けない顔だ・・・。)
心配するセクァヌのその気持ちがよく分かった。
(なぜこうも情けなくなってしまったんだろう?・・・こんなの・・こんな弱虫私じゃない!)
「ごめん、頭冷やしてくる。」
ぎゅっと拳を握りしめると、ミルフィーはセクァヌの前から駆けだしていた。
(まったく・・・どっちが年上なのか分かりゃしない・・・)
泣きたいほど情けなかった。

「!?」
あてもなく森の中をひた走りに走っていたミルフィーは、不意にぐいっと腕を掴まれて驚く。
「カルロス?」
ミルフィーの声を聞けばこそ、カルロスは手近にあった大木に彼女を押しつけていた。
「ミルフィー・・」
悲痛な表情のカルロスは、いつもの彼ではなかった。うわずった声と、怒っているような、悲しんでいるような瞳があった。
「カルロス、急に何するのよ?!」
いつもの調子でミルフィーは声を荒くして抗議する。が、カルロスの耳には何も入っていないかのように見えた。
「ミルフィー・・なぜだ?・・・なぜオレではだめなんだ?・・・これほどの思いでいるのに・・・オレは・・・」
「カル・・・」
両腕をしっかりと押さえられていた。身動きのとれないまま、ミルフィーはカルロスのその様子に言葉を切る。目の前のカルロスは、明らかに理性を失くしていた。心臓が止まりそうなほど勢い良くそして早く鼓動し始める。
「他の男にお前を奪われるくらいなら・・・他の男を追うお前を見なくてはならないのなら・・・・・・いっそのこと・・このまま・・・」
びくともしなかった。渾身の力で跳ね返そうと、カルロスの手をふりほどこうとしたが、ますます食い込むように握られるだけで、びくともしない。
目の前のカルロスが、これほど恐ろしいと思った事はなかった。それは、それまで気軽にからかっていたカルロスとは、まるっきり別人だった。
ミルフィーを想う気持ちと嫉妬と、そして自暴自棄・・そんなものが混ざりあったぎらつきがカルロスの瞳にあった。
「ミルフィー・・」
(・・・ダメ・・びくともしない・・・)
ミルフィーをじっと見つめるその表情に、いつものカルロスはどこにもいなかった。ここまで追い込んだのは自分なのだという気持ちと、そして恐怖がミルフィーを支配していた。
蛇に睨まれたカエルのように、カルロスの視線から逃れられそうもなかった。
(・・・私・・・・)
もうどうしようもない、と諦めかけたそのとき、ふっと自嘲的な笑いと共に、ミルフィーを掴んだカルロスの手から力が抜ける。
「ダメだな・・・・」
軽く添えられているだけとなったその手は、簡単に振りきれるはずだった。が、ミルフィーは逃げることも忘れてそのままじっと見つめていた。
「・・・オレは・・こんなになっても・・・お前に嫌われるのが恐いらしい・・・・・」
そっと手を離すと、カルロスはミルフィーに背中を向けて歩き始める。
「カル・・・・・」
一瞬、声をかけようと、追いかけようと、ミルフィーは思った。が、次の瞬間、それが何の解決にもならないことに気付き、彼女はそうすることをとどまった。
(私・・・・・)
どうしたらいいのか全く分からなかった。ただ、哀愁漂うカルロスの背中を、見えなくなるまで、ミルフィーはそこに佇んで見つめていた。


「ねー、アレク・・・?」
「なんだ?」
ミルフィーとカルロスとは正反対、セクァヌとアレクシードは、例のごとく小高い丘で仲良く一緒に景色を眺めていた。
「アレクは・・・重いって感じたこと・・・ない?」
「重い?何がだ?」
「何がって・・・・私の・・・気持ち・・・・」
「お嬢ちゃんの気持ち?」
訳が分からないというように見つめるアレクシードに、セクァヌはミルフィーの事をさりげなく話す。彼女の名前は出さずに。もっともすぐわかってしまうだろうとは思ったが。
「だから・・・私がいつも一人で・・一方的に言ってるみたいだから・・・アレクは・・・・」
小声でそうつけ加えたセクァヌを、アレクシードはそっと引き寄せ、じっと見つめる。
「何をバカな事言ってるんだ。・・・重いなんて事あるわけないだろ?・・・オレが・・・どんなにお嬢ちゃんに・・その・・・惚れてるか、分かってるだろ?」
顔を赤くして言ったアレクシードに、セクァヌは少しほっとする。
「・・・でも、アレクってちっとも言ってくれないから・・・私、時々置いていかれないかしらって・・・だって、私っていつまでたっても子どもだし・・。」
「お嬢ちゃん!」
セクァヌは、アレクシードのその声にびくっとする。
「オレがいつお嬢ちゃんを置いていくっていうんだ?・・お嬢ちゃんの傍以外に・・オレが行くところがあるわけないだろ?」
「アレク・・」
「・・・まったく、何を言い出すかと思ったら・・・・」
「だって・・・」
「だけど・・・そうだな・・・もっと実感が必要か?」
「え?」
きょとんとしているセクァヌに、アレクシードは意味深な笑みを浮かべた。
「二度とそんなことを感じないように・・・馬鹿げたことを言わないように・・・約束を忘れていいか?」
「ア、アレク・・・・」
普通そんなこと聞くかしら?とセクァヌは思わず心の中で呟いていた。
「ダメよ、約束は約束よ!」
そんな約束は・・・忘れてくれても構わないとも思ってもいたが、セクァヌの口から出た言葉は違っていた。
「アレクの意地悪っ!」
なんとなくそこにいるのがいたたまれなくなり、セクァヌは思ってもいない言葉を置いて駆け始めた。
セクァヌのその後ろ姿を見つつ、アレクシードは肩をすくめる。
「オレがどう意地悪なんだ?・・・意地悪なのはお嬢ちゃんの方だろ?・・・」
熱くなったかと思えば、次の瞬間には冷めている。あれが女心と秋の空っていう奴か?などと思いつつ、アレクシードはゆっくりとセクァヌの後を追った。


その数日後、スパルキア軍は、カナソラの町を目指して進軍していた。夕刻には町から少し離れた所に陣を張る予定だった。

「なんだ、あれは?・・・・火の手か?」
先頭を進むアレクシードがそれを見つると同時に、物見の兵が進行方向から駆けてくるのが視野に入る。
「申し上げます!」
たっと馬から下り、その兵はアレクシードとセクァヌの馬の前に膝をつくと堰を切ったように口早に言う。
「ガートランドの手の者が町に火を放った模様。火の手の勢いが早く消火活動が間に合っていません!」
「な・・?」
「なんてことを?!」
セクァヌは咄嗟にシャムフェスを振り返る。
「シャムフェス!」
消火活動に兵を回せないかとセクァヌの問いに、シャムフェスは力無く答える。
「後方より報告がありました。・・・敵はそれを待っているようです。」
「なんですって?・・そんな卑怯な・・・・」
「くそっ・・・奴らのやりそうな事だ・・・。」
セクァヌがこういった事態を無視できないことを十分承知の上、実行した事だとそこにいた全員思っていた。消火活動に兵を裂き、戦力が減った状態のスパルキア軍に攻撃をかける。
「風が強いわ・・・ぐずぐずしてると・・・・・」
町の片隅で上がった火の手は、猛烈な勢いで広がり始めていた。
「どうしたら・・・・?」

険しい表情で見つめあうセクァヌたちの傍を、ミルフィーはそっと離れた。
そして、町がよく見渡せる場所に出る。
「ここに来てから術は使ったことはないけど・・・」
キッとその風に踊り勢いよく燃えさかる火の手を今一度睨むと、ミルフィーは精神を集中した。
「風精・・・・この地に吹く風よ・・私の声が聞こえるのなら応えて。・・・誓約したのは異なる世界・・・なれど、吹く風は同じはず。この心が聞こえるのなら・・風精よ・・私の頼みを聞いて・・・。」
暫くしてふわっとミルフィーの周囲を一陣の風が巻く。
「ありがとう。・・お願い・・あの火を踊らせないで・・・今は静かに休んでいてほしいの。」
火を消す事は無理。ならばできる限り火が回らないようにとミルフィーはそう願った。

「風が・・・止んだ?」
セクァヌらは、突如止んだ風に目を見張る。とてもではないが、止みそうもなかった強風だったのに。

「ミルフィー」
「カルロス」
一人町を見ていたミルフィーの元に、ゆっくりと馬を進めるカルロスを振り返る。
「で、次はどうするつもりだ?」
風が止んだのはミルフィーの仕業だとカルロスにはすぐ分かった。が、風が止んだだけでは火は消えない。すでに人の手による消火作業では鎮火しそうもないと思われた。
「水を・・・水魔を呼んでみるわ。」
「水魔?」
「水精とは誓約してないの。だから水の術は使えない。でも、聞きかじりなんだけど、水魔の召還・・・っていうのかな?刺激して、つまり怒らせてここへ呼び寄せるってやつならできるかもしれない。」
「怒らせて・・・・」
「そう。だから、後が大変よ。」
「それはオレに任せておけ。」
誓約によって召還した精霊とは異なる。鎮火したらお役目ご苦労様で帰ってもらうわけにはいかない。水魔を元の世界に戻すには、この世界での息を止めること。水魔を殺し、元の世界へお戻り願うのだ。
カルロスはミルフィーの目からそれを読みとると、自信に満ちた表情で頷く。
どれほど強大な水魔だろうと、どれほど手強いものだろうと、必ず息の根を止める、とカルロスはミルフィーを見つめる。
「・・・ありがと、カルロス。」
その頼もしいカルロスの笑みに、ミルフィーも笑みを返す。
「しかし、いいのか?」
「え?」
「術を使うということなんだが・・・。ここは魔法は存在しないようだ。もし、そんな術を使えば・・・・」
人間ではないと恐れられる・・・今までよくしてくれたセクァヌも例外なく恐怖を感じるかも知れない。そして、それは、ミルフィーの恋するアレクシードも、たとえ、大陸一と言われる屈強な戦士でも、人知では計り知れないその力に恐れを感じるかもしれない。人間としてみてくれなくなるかもしれない。ひょっとしたら化け物扱い・・・そして、そうなった場合のミルフィーが受けるだろうショックを思い、カルロスは心配する。
「あの火事をこのまま放っておけないわ。それに・・・もしかしたら、帰れるかもしれない。」
途切れたカルロスのその先にあった言葉を読み、ミルフィーは少し悲しげだったが静かに断言する。
「帰れる?オレ達の世界にか?」
「そう。水魔が帰るその次元移動の波に乗れば・・・」
「なるほど。」
それもありうるかもしれない、とカルロスは顎に手を当て考える。
「だが、いいのか、それで?」
もしそうだったとしたら・・・二度とここへは来られない。それはアレクシードに会うことができなくなる。
例えどうあっても叶わない想いだと分かっていても、愛しい人を見つめていたいという気持ちは、カルロスには痛い程良く分かっていた。もっともミルフィーが、同じ気持ちだとは断言できない。人によっては二度と会わずにいようと思う者もいるし、会わない方がいい場合もある。
「・・・カルロス・・・」
そのカルロスの気持ちがミルフィーには心に痛みと共に突き刺さった。やさしいその気遣いは・・・今の自分には受ける資格はない。
「たとえ魔物と見なされても・・・化け物と言われようとも・・・大丈夫、それはここだけの話。帰れば・・・普通の人間よ。」
「ミルフィー・・・」
「さてと・・・一応セクァヌには断っておきましょ。黙っていなくなるのは・・・礼を失するというものだから。」
にこっと笑って馬を進めるミルフィーの後をカルロスは黙ってついていった。

**青空#132**


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