-第一章・迷宮の孤独な探索者-
-その3・魔女リュフォンヌ-

 

 「や〜〜い!や〜〜い!魔女の子や〜〜い!」
風穴を駆け抜けるリュフォンヌの脳裏に、子供の頃の記憶が蘇っていた。
「どうしたんだい、リュフォンヌ。また悪口言われたのか?」
泣いたまま家に帰れば母親が悲しむ。幼子心にもそう思い、家の近くの林の中でうずくまって泣いていたリュフォンヌに、デオンリードがそっと声をかける。
「ディー・・・」
それは同じ村に住むリュフォンヌより3,4才上の少年。冒険家、あるいは、元冒険家の多いその村で、小さな教会の司祭の息子として生まれたデオンリードは、他の少年と違って大人しく、同じ年頃の少年と、野原を駆け回り、冒険家ごっこをするより、じっと本を読んでいることが好きな少し人見知りする少年だった。
そのせいなのか、仲間はずれぎみでもあったデオンリード。子供達からいつもからかわれ虐められているリュフォンヌが気になり、声をかけていた。
前述のように、冒険家崩れの多いその村は、故郷を異にした人々の寄せ集めであり、よほどの悪人出ない限り、歓迎とまでいかないまでも、外から来たものを排除するといった風習はなかったのだが・・・リュフォンヌ母娘は特別だった。
リュフォンヌの母親、アーデノイドは、冒険を共にしたこの村出身のデイクに伴われてここへやってきて落ち着いたのだが、実はある噂があった。それは、アーデノイドの父親は魔族だという噂だった。魔法使いとして冒険者達の間に名を馳せていたアーデノイド。その類い希な魔力と強力な呪文は、その血のせいだと囁かれていた。
リュフォンヌが生まれてすぐにデイクは村を襲った水害の時、急流に流されていた子供を救う代わりに、その命を落としていた。その後、アーデノイドは女手一つでリュフォンヌを育てていたのだが、彼女を魔女だと気味悪がった村人たちの間に立っていたデイクを亡くした摩擦は大きかった。
村外れの小さな小屋で、アーデノイドは愛するデイクの墓を守りつつ、数頭の山羊と薬湯などを作ってひっそりと生計をたてていた。
その魔女の娘であるリュフォンヌは、やはり魔女だ、という暗黙の烙印は、大人達の口からはでないものの、影で囁かれる噂をおもしろ可笑しくからかいのネタにする子供たちの口には当然のようにのぼっていた。

「噂は噂だよ。ぼくは君がどんなにやさしい女の子か知ってる。そして、君の母さんも自分のことより他人の事を思って行動する、やさしくて勇気のある人だって知ってるよ。」
それは、その数年前、流行病が村や辺り一帯を覆ったとき、十分な休養も睡眠もとらず、必至になって薬草をさがし、病に効く薬湯を作り、患者を看病したアーデノイドのことを、神父である父親から聞いていたからとも言えたが、ときどきやはり虐められ沈んでいたリュフォンヌを送っていったときに会うアーデノイドから受けた印象からでもあった。

「ディー・・・あのあなたが、まさかこんな事するなんて思いもしなかったわ。」
こんなこと・・それは、この迷宮を作り上げた本人が、そのやさしかったディー、デオンリードなのである。
同じ年頃の少年の輪の中に入らなかったせいと、やはりリュフォンヌをかばっていたせいもあったのだろうか、いや、その前からとも言えたが、いつの頃からか、そして、年を追うごとに、デオンリードと村の青年たちとの間に壁のようなものができていた。
肝試しや村では恒例になっていた少年グループだけで行く小冒険旅行など、機会がある度に、大人しいデオンリードは、臆病者と罵られるようになった。

そして、数年前、村の青年グループに無理矢理連れ出された迷宮探検の途中、偶然落ちた地の割れ目の底に広がっていた遺跡で、禁断の術書を見つけてしまったのである。後は・・・臆病者とからかい、のけ者にした彼らを見返してやりたい、いや、こんな世界などいっそのこと無くなってしまえばいい、そんな思いがその術書に宿っていた悪魔に増幅されてしまったのか、そう思う一方で、そうするべきじゃないと思いつつ、開いてしまった闇の四聖獣召喚の書。
始めに見つけた死聖鳥召喚術の書から躍り出たその死鳥の魔の瘴気により、デオンリードの心の闇は一層増幅され、世界の混沌を望む闇魔導師が同時に誕生してしまったのである。


「ディー・・私は信じてるわ。あのやさしかったあなたは、心の底まで悪魔になんかなっていない。悪魔に操られてるだけなのよ。」
やさしかったデオンリードの笑顔を思い出しながら、リュフォンヌは呟いていた。なかなか進まない探索にいらつきながらも、それでも、リュフォンヌは、デオンリードに人間としての心を取り戻させようとしていた。たとえ迷宮がどんなに奥深くても、それが、どんなに困難なことでも、そうしなくてはならないと思っていた。
(でも、自分の力に限界を感じた・・・・それで、この風穴を目指したのよ。・・・あの時、私は戻るわけにはいかなかった。引き返そうといった仲間の言葉を無視して突き進んだのはこの私。だから、彼らを殺したのは・・・私・・・魔女と呼ばれてもしかたないのよ・・・。)
後悔と言えばそうだった。彼女にとって世界の崩壊を阻止するという理由より、デオンリードを救いたい、その気持ちの方が大きかった。そして、犇めく強敵に、人間では手にすることができないと思われる魔力と術を欲したのである。
『魔女の子は魔女』・・・彼女の母親アーデノイドは、デオンリードがこの迷宮を作り上げる前に病にかかり亡くなっていた。その臨終の間際、リュフォンヌは、こんなことは聞くべきではないと思いつつ、彼女の祖父のことを聞いてみた。
が、悲しげな微笑みを残したまま、アーデノイドはその事には何も答えずこの世を去った。
『あなたはあなたであればいいのよ。』生前リュフォンヌによく言っていたアーデノイドの言葉を彼女は思いだしていた。それは、母親が自分自身に言っていた言葉だったかもしれないとリュフォンヌは思うようになっていた。
が、思いがけない所で、出生の秘密は暴露されたのである。
それは、とりもなおさず、この精霊王の風穴の奥だった。


仲間全員死亡という大きな犠牲の上で辿り着いた精霊王の祠。彼女自身も精も根も尽き果てていた。
その彼女の耳に精霊王の冷たい言葉が響く。
『ここまで辿り着いた褒美として、魔力と術を与えよう。』
心の底までぞっとするような微笑みを浮かべ、精霊王は続けた。
『ただし、未だかつてその魔力をその身の内に無事宿し仰せた人間はいないが。』
「え?」
思わず精霊王の顔を見上げるリュフォンヌ。
『全ての精霊との誓約の上で得られる魔力なのだ。それがいかに強大なものか、自分のその身で感じるがよい。』
「きゃあっ!」
リュフォンヌの返事を待つまでもなく、精霊王は、全身から放った気をリュフォンヌに飛ばした。
『力への欲求に溺れし愚かな人間よ・・・その脆弱な身を思い知るがいい。・・・その身の死を持って。』

「あ・・あああ・・・・・・」
気の遠くなるような熱さと苦痛だった。
が・・・・永遠に続く地獄の責めというのは、このことなのだろうか、と思えたその極痛の嵐の後、気を失ったリュフォンヌがその意識を取り戻したのは、天国でも地獄でもなかった。

『そうか・・そなた・・・・そうか・・・あやつの・・魔族の血を引いておるのか。』
「え?」
その先を聞きたかった。が、次の瞬間、目の前にいたはずの精霊王も、そして、祠も、まるで幻だったかのように消え失せていた。
リュフォンヌを囲んでいるのは、荒涼とした岩場と、冷たい突風。確かにそこはこの世とも思えない美しい花が咲き乱れていた花園だったはずなのに。

しばらくはただ呆然としていた。が、ふと我に返り、戻り始めたその帰り道、リュフォンヌは自分の新しい力を知る。
敵の出現と共にふと頭に浮かぶ呪文。そして、その強力さ。それは、自分自身でさえ恐ろしいと思ってしまうほどのものでもあった。
最初に出会った地龍との戦い。力加減ができなかった彼女は、周囲の山々ごと地龍を吹き飛ばしていた。


「自分で選んだ道だけど、いつの間にか私は、名実ともに魔女になった・・のよね?」
(それでもデオンリードなら魔女扱いはしないだろう、昔のあの人なら・・・)
少女時代、彼の言葉がどれほどリュフォンヌの心を救ったか、それは彼女自信が一番よく分かっていた。
「今度は私があなたを助ける番なのよ。何があっても、たとえ魔女と呼ばれようとも、仲間殺しと呼ばれようとも、私は進まなくてはならないのよ。」


「行くんだ、リュフォンヌ!ここまで来たからには、必ず手にいれるんだ!・・・あんたならできる!・・・オレたちはもうだめそうだが・・・・・あんたなら。・・・世界を・・・・救ってくれ!・・闇魔導師の野望を絶ってくれ!」
精霊王の祠を前にして倒れた仲間の言葉が、風穴を駆け抜ける突風に乗って切れ切れにリュフォンヌの耳に聞こえていた。まるで数年前に時を遡ったかのようにはっきりと。

「そうね・・・自分で言ってちゃ・・弱気になってちゃいけないわ。わかってくれる人もいるんだから。彼らように、そして、・・・お母さんを愛したお父さんのように。」
もうだめだと諦めかけたあの時の激痛、リュフォンヌは確かに両親が自分を励ます姿を見ていた。

「リュフォンヌ、これからあなたの身に何が起ころうと、そして、何があろうと、母さんと父さんはあなたのことを見守ってるわ。あなたは父さんと私の愛の証。父さんがいたから、私は心まで魔女にならずにすんだ。私は私、そして、あなたはあなた・・・誰の血をひいていようと関係ないわ。自分は自分なの。大丈夫、リュフォンヌなら・・だって父さんの娘なんだもの。」
母、アーデノイドの最後の言葉をリュフォンヌは思い出していた。

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