-第一章・迷宮の孤独な探索者-
-その2・精霊王の風穴-


 

 「あれは・・・・?」
動力源は何かの魔力なのか、音もなく下りていく自動移動箱の中。土壁と土壁の間の空間の闇のなかに各階のダンジョンが見える。その5つ目くらいだっただろうか、その闇の中にぼんやりと佇む人影があった。
それは伊織という名の女性。東方の国出身の武闘家だった。
「伊織!」
共に探索したことはなかったが、お助け小屋や町の酒場で顔見知りとなっていた。
男勝りの勝ち気の性格な彼女とは到底思えない様子に、リュフォンヌは思わず自動移動箱の停止スイッチを入れ、その階に躍り出る。
−フシューー!−
「伊織!」
と、リュフォンヌが移動箱から出ると同時だった。巨大な蛇が伊織の背後に広がる闇から躍り出てきた。
「出よ、火炎龍!」
−ゴアッ!・・・キシャーーー!−
もう少しで伊織を頭から飲み込むところだったその巨大蛇は、リュフォンヌの放った炎に包まれ、もがき苦しみ、黒こげになって無惨な姿と化して地に落ちた。

「伊織!大丈夫?」
が、その様子も目に入らなったように、精神が飛んでしまっているかのように彼女は相変わらずうつろな目をしてゆっくりと歩行を続けている。まるで操り人形のように。
−パン!パン!−
場所が場所である。いつまた魔物が襲ってくるかわからない。リュフォンヌは魂の抜け殻のようになっている伊織の両頬を思いっきり叩いた。
−ハッ−
「伊織・・大丈夫?気がついた?」
「あ、あんたは・・・リュフォンヌ・・・?ここは?・・・あ、あたし、どうして一人で?」
ぶたれた頬を抑えようやく正気に戻った伊織にリュフォンヌはほっとする。
「私の方が聞きたいわ。今回はイーガとヨーガは一緒じゃなかったの?」
しばらく伊織は空を見つめ考えていた。

「・・・そう・・だった・・・・・・あたしだけ・・・転送されたんだ・・・。」
「転送された?」
「そう。今回は、あの2人、イーガとヨーガの要望で、魔力と呪術を増やすため、精霊王の風穴に入ったんだ。」
「精霊王の風穴・・。」

それは地下5Fの奥にある風穴のことだった。自動移動箱で下りればまっすぐ10Fまで行けるが、各階はかなりの広さを持っている。ちょうどアリの巣のようにダンジョンは広がっているのである。その中の一つ。この魔宮の魅力の一つでもある、精霊王の宝玉への風穴である。足場が悪く狭いその風穴を抜ければ広い空洞が広がっている。そこに広がっているのは、地下迷宮とは思えないほどの光景。緑の木々と澄んだ水の川そして、花が咲き乱れる草原。
そのどこかに精霊王の祠があると言われていた。そして、そこに祭ってあるその宝玉を触ると魔力が増し、宝玉には、人知れない呪文が映し出されるといわれていた。従って、己の力の増大、そして、術を身につけるため、そこを目的にする魔導師や僧侶も多かった。イーガとヨーガというのは、いつも伊織と一緒に行動している兄弟僧侶である。
が、風穴まで行くのも魔物が犇めいている。そして、無事風穴を通りそこへ出られたとしても、その美しくすがすがしい風景とは裏腹に、やはりそこは、魔物のテリトリーなのである。そして、森から祠があるという草原には、死の荒野とよばれる岩場を通らなければならなかった。そこでは、術の効かない魔物の数が多かった。ゆえに、祠を目的とするのが僧侶や魔導師であっても、伊織のような武闘家や剣士の助力も必要だった。たいていの僧侶や魔導師の直接攻撃など、彼らはものともしないからである。
「リュフォンヌ、お願い!あたしと一緒に風穴へ入って!あと少しで草原だったんだ!」
男勝りで、人に頼み事をしたことのない伊織が、リュフォンヌにすがりつくような瞳で懇願した。
「2人は・・どうしたの?」
「2人は・・・・双頭龍と出会って・・・・」
「双頭龍・・・」
それは岩場にいる龍だった。そこを越える一番の難関でもある。
「滅多に出会わないと聞いてたんだ・・なのに・・奴は不意に襲って来た。草原に出たと目の前の光景に喜んでいたその時に・・・。奴は、呪術だけでなく、あたしの・・あたしのこの拳も・・・ものともしなかったんだ・・・・あたしの拳の技は、奴の前ではまるっきりの無力だったんだ。」
あとは、おそらくイーガとヨーガが最後の呪力を振り絞って伊織だけ飛ばしたのだろうと予想できた。

「イーガ・・ヨーガ・・・」
双子である彼らは、僧侶と魔導師の両方を兼ね備えた力を持っている。彼らの呪力はかなりのものだとリュフォンヌは知っていた。そして、目の前の伊織の技も、決して男にはひけをとってはいない。拳と気功の使い手として、誰しも一目置く実力の持ち主である。
黒髪の兄イーガと銀髪の弟ヨーガ、2人は、一見、やさしそうな風貌からは予想もできないほどの強力な術と魔力を持っていた。

「あたしがいけないんだよ。あたしが・・・・」
「え?」
「実は、2人ともあたしにね・・・こ、こんな男勝りのあたしに・・・・・」
言葉の先を濁らせた伊織。が、その先は言わなくても容易に推理できたリュフォンヌは、こくりと頷く。
「でも、あたしは選べなかった・・・・それでもどうしてもと言ったんだ・・・だから、つい、魔力がある方なんて言っちまったんだ。だから、2人は・・・その理由は言わなかったけどさ・・・急に精霊王の風穴へ行くなんて言ったのは・・行く気になったのは・・・おそらくあたしが原因だと思う。」
「伊織・・・」
「あんたは、一度入ったんだろ?目的地まで行ったんだろ?あんたの底知れない魔力と強力な呪術はそこで身につけたものだって・・・冒険者たちの間じゃ、英雄サーガにまでなってるくらいだからね。だから、最初に会ったときは驚いたさ。あんたみたいに若くてきれいな女だとは思いもしなかった。」
リュフォンヌは、苦笑いを伊織に返す。
「な、頼むよ。あいつらを助け出したいんだ。こんなのって・・後味が悪いなんてもんじゃない。」
「私でいいの?」
リュフォンヌは少しトーンを落とした声音で念を押した。噂を知っているのならそうすべきだったからである。
「ああ、もちろんさ。というより、あんた以上の強力な助っ人を、あたしは知らないしね。」
「わかったわ。でも、怪我を治してからね。」
苦笑いでそれを請け、リュフォンヌは片手を伊織の頭の上に翳した。
「聖獣の吐息よ・・・慈愛の母よ・・・傷ついたこの者にその慈愛を持て癒したもう。」
すうっと伊織の全身にあった傷は消え、疲労感も無くなっていった。
「あ、ありがと。やっぱり違うね。」
「何が?」
「術の効き目っていうのかな?効き方がさ、違うんだ。」
「私は一緒だと思うけど。」
「そうかい?・・あたしには、なんか違うような気がするけどな。」


精霊王の風穴。その奥に広がる一帯も含めて総称でそう呼ばれていたそこへ、リュフォンヌは2年ほど前、仲間と共に入った。
そして、その時だけでなく、今までも、目的を達成してそこからなんとか地上へ戻ったのはリュフォンヌのみ。そんなことから、類い希な魔力を持ち、強力な術を使う魔導師としてリュフォンヌの事は迷宮の膝元の町だけでなく、国外までも噂となって知れ渡っていたのである。・・・仲間殺しの名前と共に。
それは単に彼女が危険地帯と呼ばれる強敵の犇めくエリアへ突き進んでいくからに違いなかった。が・・・彼女以外全員死亡という事が、その時だけでなく幾たびかあったからである。
彼女の力を恐れて、本人の前では絶対に口にしないが、いつのまにかそんな噂も囁かれるようになっていた。もちろん、彼女もそれは耳にしていた。それゆえ、いつしか彼女は一人で探索するようになっていたのである。が、時には捜し物の依頼主が雇った探索者や前回のように噂を気にせず同行する者も稀にあることも事実である。
あえて追記するが、仲間を伴った毎回、全滅するわけでも、その類の危機に合うわけでもない。無事目的を果たし、全員生還する回数の方がうんと多いのは確かである。従ってそのおまけの噂は、彼女への嫉妬や妬みから来ていると思われた。女性としても美人の類である彼女。その噂の発端は振られた男だという噂も、またあった。
ともかく、彼女ただ一人生還というのは、正確には、その精霊王の風穴に入ったときと、前回と、それから風穴に入る前、迷宮の奥にあった未発見の隠し扉の奥にあった自動移動箱を見つけた時だけなのである。その守り手のあまりにも強大さに、強い呪文の必要を感じたリュフォンヌは、腕の立つ仲間を集って風穴へ向かったのである。
そして、その一連の悲劇に一番傷つき、臆病になっているのは、リュフォンヌ彼女自身といってもよかった。だからこそ、彼女は、あえて自分から仲間を募ろうとはしなくなっていた。


「リチャード・・クリフォード・・・バークレー、そして・・ジョナサン・・・」
精霊王の風穴へ向かう途中、リュフォンヌはその時の記憶に思考を飛ばしていた。心の痛みと共にその心の奥深くしまいこんでいた遠い記憶のような、そして、つい昨日のような思い出に。ただし、戦闘中以外ではあるが・・。1、2Fならまだしも、5Fまで下りると、いかにリュフォンヌとは言え、気もそぞろで対峙できる相手ではない。

「なにがなんでも無事に連れ出すわ。大丈夫、2人は死んではいない。私の感がそう言ってる。」
伊織と共に、リュフォンヌは、薄暗い通路をひた走りに走っていた。時間をとってしまう戦闘を極力避けるようにし、襲いかかってくる魔物の攻撃を上手く交わし、その間をぬうようにして駆け抜けていた。

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