*『勝者・真壁五郎左右衛門忠邦〜剣に生きた生涯〜』* 魁の国 ここは戦国最強と唄われる竹田家の本国である。 その重臣の名に真壁家の名が見て取れる。 『魁の竹田はいい人持ちぞ、真壁と聞けば、鬼もひれ伏す。』 一時は隆盛を極めた真壁家であったが、謀反の疑いありとしてお家断絶とある。 これは真壁家再興を志、剣に生きた男の壮絶なるドラマである。(語り:田口トモロヲ) 魁の国真壁家。 土着の豪族でありながら、その武を持って勇名を馳せ、彼を慕う者多々あり。後、兵を率いて竹田家に帰順す。その忠、他の者の及ぶところにあらず。 真壁五郎左右衛門忠邦、幼名菊千代は、真壁家主君半造の5男として生を受けた。 槍術を持って勇名を馳せた半造は、息子達にも武芸を仕込んだ。忠邦は幼少の頃より剣に親しんだ。 月日は流れ、忠邦16の年。 戦勝祝いの酒席でのことである。 「いかに前田殿といえど、その言葉許せませぬ!」 「ほざけい髭も生えぬわっぱが。本当の事を言って何が悪い。何度でも言ってやろう。おぬしの剣術など子供の遊び。わしには通じぬわ!」 「通じぬかどうか、実際に試して見なければわかりますまい。」 「小僧、それは武士としてわしに対する挑戦か!」 前田久留間は、竹田家重臣・小山田倍雪の家臣であり、戦場では多くの手柄を上げている。人柄は粗野で傲岸不遜な乱暴者としても知られていた。 一方の真壁忠邦は、昨年元服したばかりで、今回の戦が初陣であった。剣の腕前は上々と評判であったが、初陣と言うこともあり戦功をあげていなかった。その事について、前田が主君の御前であるにもかかわらず、自慢話ついでになじったのが事の始まりである。噂ばかりで実のないあおびょうたん。戦におびえて、小便でももらしたであろうと言ったのである。 初陣を果たしたばかりとはいえ、忠邦にも意地があった。お館様の前で恥をかかされては黙っていられなかった。 その様子を面白そうに眺めていた主君の竹田であったが、ひとつの提案を出した。 「はっはっはっ、言い合っていても決着はつくまい。ここはひとつ手合わせしてみてはどうじゃ。どちらも覚悟の上、恨みは残るまい。」 手合わせといえば聞こえはいいが、どちらが強いか果たし合いで決着をつけろというのである。 「殿がそうおおせになるならば、わしの強さをご覧に入れましょう。」 「はっ承知いたしました。」 こうして竹田家の当主、並びに重臣一同が見守る中、果たし合いが行われることになった。重臣の中には忠邦の父である半造、半造のライバルであり前田の主人である小山田の顔もあった。 真剣を抜き、真壁は牙神流独特の構えで、前田は上段で対峙した。 二人の殺気があたりを支配する。すべての音が遮断され、異様な静けさがあたりに立ちこめた。 先に仕掛けたのは前田だった。常人では考えられないような遠間合いから神速の踏み込みが前田の得意技である。 勝負あった! 誰もがそう思った。 だが斬られていたのは前田であった。逆袈裟に切り上げられた胸から大量の鮮血がほとばしっていた。忠邦は、先ほどまでの前田の立ち位置に残心したまま立っていた。 「うむ、見事だ!」 重臣達は拍手喝采した。 誰もがこの勝利を祝福した。が、その中に一人復讐を誓う人物がいた。倒された前田の主人小山田倍雪であった。 「おのれ真壁・・・いまに見ておれよ。」 ・・・・・数年後・・・・・ 真壁家は隆盛を極めていた。真壁家は天下随一の武門。そんな真壁を、竹田も重用していた。 一方、真壁家の興隆を面白く思わない者も多かった。小山田倍雪もその一人である。戦場での戦功よりも謀略を得意とする小山田は、ある策をひそかに練っており、策を施す好機を虎視眈々とうかがっていた。 ある年、真壁忠邦が所用で他国に出向いている時に事件は起こった。 真壁家の下級武士3名が、小山田家の門前で斬奸状を持ち切腹したのである。 直ちに取り調べが行われ、斬奸状の内容があらためられた。 『真壁家は竹田家重臣でありながら、他国に内通し、主家を呪詛する獅子身中の虫也。その証は真壁家持仏堂の中にあると知るべし。我らは主君竹田家を想うも、真壁家の禄に預かる者なれば、真壁家を斬奸するは逆賊のそしりを免れぬものなれば、ここに腹をきるものなり。』 「半造どのこれはいかがなことか。」 「それがしには身に覚えのないことにござる。」 「真壁殿、持仏堂の中をあらためさせてもらう。よいか。」 「なんと言われる!そのような輩の言葉を信じ、真壁家の持仏堂をあらためると申されるのか。」 「左様。仮にも武士たる者が3名腹を切ったのじゃ。それとも、なにかやましいことがおありかな・・・。さ、案内せい。」 「そうまで申されるならいたしかたありますまい。こちらにござる。」 半造は持仏堂に案内しながら何かおかしいと感じていた。腹を切った3名はたしかに真壁家につかえていた者だが、いずれもここ1年以内の者だ。それに持仏堂はそうそうと人を通す場所ではない。下級武士がその中を見るということはないはず。それに持仏堂をあらためるだけにしてはこの人数は・・・。 「こちらが真壁家の持仏堂にござる。」 「うむ、ではあらためさせてもらう。」 薄暗い中に仏像や位牌が飾られている。何もおかしい所はないはずであった。が、真壁の視線はある一点に注がれたまま凍り付いた。 「なっこれは!」 「真壁殿、なぜ竹田家の家紋が入った位牌があるのだ。ここで何を祈っていたのじゃ!」 「し、知らぬ。わしは知らぬ。一体誰がこのような・・・」 「斬奸状にあるはまことであったか。」 「・・・・・・」 「この期に及んで見苦しいですぞ。ええい、真壁半造を引っ立てい!」 そう命令を受け羽織を脱いだ者達は一様にたすきがけをすませていた。これは、あらかじめこうなることを予想していたとしか思えないことである。 「・・・これは面妖な。この身支度はいかがいたしたものか。」 「かかる非常の時に身支度いたすは当然でござろう。」 「ならば最初から身支度して訪れればよかろう。羽織で隠す必要は微塵もないはず。それに・・・早急にはせ参じてくるのに、鎖帷子を着込むゆとりがあったと申されるのか!」 「くっ問答無用。申し開きたいことがあれば、吟味の座にてたまわろう!」 「はかったな!」 「血迷うたか、真壁半造!」 「この一件小山田倍雪のはかりごとであろう!我に身に覚えのなきこの位牌、そして下級武士の切腹。その下級武士も正体はらっぱ者であろう。これらのこと、小山田の謀略と考えればすべてにつじつまがつく!」 「ええい抵抗するか。斬れい、真壁を斬りすてい!」 ・・・・・数刻の後・・・・・・ 所用から戻った忠邦は門をくぐり家の玄関口に来た。これまで誰一人として家人を見かけていない。 「おかしい、門番もいないとはどういうことだ。・・・血のにおいがする。もしや!」 忠邦が家あがると目に入ったのは、凄惨な光景だった。 「な、これはどういうことだ!」 あたりに飛散した鮮血、倒れたふすま、荒らされた家、そこかしこに横たわる家人の死体、多くの人が斬り合った末殺された跡が見て取れる。 「あ、兄じゃ!兄じゃまで殺されているとは・・・。父上はどこに・・・父上ー!」 忠邦の父は、持仏堂近くに倒れていた。肩口から斬られ瀕死の重傷を負っているが、まだ息があった。 「父上、これはいったいどういうことですか。」 「忠邦か・・・。小山田にはかられた。我らは謀反人に仕立て上げられたのじゃ。」 「おのれ小山田!この俺がそっ首たたき落としてやる!」 「ならん。今動いてはならん。お前は身分を隠し、剣に生きよ。その剣の腕前がきっと役に立つ日がくる。よいな、時期を待ち真壁家を再興してくれ。これはわしの遺言じゃ・・・。」 「父上・・・。分かりました、真壁五郎左右衛門忠邦。必ずや真壁家を再興してみせます。」真壁半造は満足そうにうなずいたあと、大きく痙攣し息を引き取った。 「父上、さぞや無念だったことでしょう。父上の無念、かならずや晴らして見せます。」 あの忌まわしき事件から何年経ったであろうか。忠邦は剣の腕を磨きながら諸国を放浪し、名のある武芸者を訪ね歩っていた。 父の遺言である真壁家再興、自らの悲願である小山田倍雪への復讐はいまだ果たされずに、偽名である結城左近という名だけが知られるようになっていた。 いつになれば真壁の名を出すことができるのか、いつになれば小山田倍雪に復讐することができるのか。おのれの志を隠し、武芸を磨く日々だけが虚しく過ぎていった。 ある日、町中でつまらない喧嘩に巻き込まれてしまった。相手は生きがいいだけの無法者3人だったが、はなから勝負は見えていた。無法者は往来に無惨な死に様をさらすことになった。 「つまらん。」 野次馬に囲まれながらのつまらない喧嘩。 「かつて天下随一の武門と唄われた真壁家も落ちたものだ。」 こんな町はそうそうに出よう。足を早めてその場を立ち去ろうとすると、奇妙なイントネーションの日本語を話す南蛮人に話しかけられた。 「3人をあっというまに倒すなんてあなたすごいアル。私強い人に興味あるアルヨ。私そこの旅籠に泊まってるアルヨ。よかったら一緒に食事でもどうアルか?」 ちょうど路銀もつきかけていたころだった。南蛮人は金を持っている。ここいらでいい出資者をさがさねばと思っていたところだ。渡りに船と、その申し出を受け入れた。 「あなたの剣術すごいアルヨ。私『ゴーガナス』いう国から来たアルヨ。あの国でも剣術盛んあるが、あなたのははじめて見たアルヨ。なんていう剣術アルか?」 「・・・・・・」 「無口な人アルネ。でもあなた強いアル。強い人にはいい話しあるアルヨ。『ゴーガナス』いますごいことなってるアルヨ。剣術大会で優勝した人と結婚する、王女様言ったアルネ。あなたどうアルか。優勝すれば、べっぴんの王女と結婚出来るアルヨ。ゆくゆくは王様にもなれるアルヨ。」 「・・・なんだと。もう一度言って見ろ。」 「アイヤーごめんアルヨ。気にさわったら許して欲しいアル。」 「そうじゃない。その剣術大会の話だ。」 「あなた興味あるアルか。いくらでも話すアルよ。このあいだ・・・・・・」 ここにゴーガナス王国に旅立つ異国の剣士がいる。 胸に秘めたるは、父の遺言、おのれの悲願。 「剣術大会に優勝すれば真壁家を再興できる。聞けばゴーガナスは大国だ。その軍事力があれば小山田倍雪にも対抗できる。俺はなんとしてでも優勝しなければならない!」 彼を待ち受ける運命やいかに。 完
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魁の国 ここは戦国最強と唄われる竹田家の本国である。 その重臣の名に真壁家の名が見て取れる。 『魁の竹田はいい人持ちぞ、真壁と聞けば、鬼もひれ伏す。』 一時は隆盛を極めた真壁家であったが、謀反の疑いありとしてお家断絶とある。 これは真壁家再興を志、剣に生きた男の壮絶なるドラマである。(語り:田口トモロヲ) 魁の国真壁家。 土着の豪族でありながら、その武を持って勇名を馳せ、彼を慕う者多々あり。後、兵を率いて竹田家に帰順す。その忠、他の者の及ぶところにあらず。 真壁五郎左右衛門忠邦、幼名菊千代は、真壁家主君半造の5男として生を受けた。 槍術を持って勇名を馳せた半造は、息子達にも武芸を仕込んだ。忠邦は幼少の頃より剣に親しんだ。 月日は流れ、忠邦16の年。 戦勝祝いの酒席でのことである。 「いかに前田殿といえど、その言葉許せませぬ!」 「ほざけい髭も生えぬわっぱが。本当の事を言って何が悪い。何度でも言ってやろう。おぬしの剣術など子供の遊び。わしには通じぬわ!」 「通じぬかどうか、実際に試して見なければわかりますまい。」 「小僧、それは武士としてわしに対する挑戦か!」 前田久留間は、竹田家重臣・小山田倍雪の家臣であり、戦場では多くの手柄を上げている。人柄は粗野で傲岸不遜な乱暴者としても知られていた。 一方の真壁忠邦は、昨年元服したばかりで、今回の戦が初陣であった。剣の腕前は上々と評判であったが、初陣と言うこともあり戦功をあげていなかった。その事について、前田が主君の御前であるにもかかわらず、自慢話ついでになじったのが事の始まりである。噂ばかりで実のないあおびょうたん。戦におびえて、小便でももらしたであろうと言ったのである。 初陣を果たしたばかりとはいえ、忠邦にも意地があった。お館様の前で恥をかかされては黙っていられなかった。 その様子を面白そうに眺めていた主君の竹田であったが、ひとつの提案を出した。 「はっはっはっ、言い合っていても決着はつくまい。ここはひとつ手合わせしてみてはどうじゃ。どちらも覚悟の上、恨みは残るまい。」 手合わせといえば聞こえはいいが、どちらが強いか果たし合いで決着をつけろというのである。 「殿がそうおおせになるならば、わしの強さをご覧に入れましょう。」 「はっ承知いたしました。」 こうして竹田家の当主、並びに重臣一同が見守る中、果たし合いが行われることになった。重臣の中には忠邦の父である半造、半造のライバルであり前田の主人である小山田の顔もあった。 真剣を抜き、真壁は牙神流独特の構えで、前田は上段で対峙した。 二人の殺気があたりを支配する。すべての音が遮断され、異様な静けさがあたりに立ちこめた。 先に仕掛けたのは前田だった。常人では考えられないような遠間合いから神速の踏み込みが前田の得意技である。 勝負あった! 誰もがそう思った。 だが斬られていたのは前田であった。逆袈裟に切り上げられた胸から大量の鮮血がほとばしっていた。忠邦は、先ほどまでの前田の立ち位置に残心したまま立っていた。 「うむ、見事だ!」 重臣達は拍手喝采した。 誰もがこの勝利を祝福した。が、その中に一人復讐を誓う人物がいた。倒された前田の主人小山田倍雪であった。 「おのれ真壁・・・いまに見ておれよ。」 ・・・・・数年後・・・・・ 真壁家は隆盛を極めていた。真壁家は天下随一の武門。そんな真壁を、竹田も重用していた。 一方、真壁家の興隆を面白く思わない者も多かった。小山田倍雪もその一人である。戦場での戦功よりも謀略を得意とする小山田は、ある策をひそかに練っており、策を施す好機を虎視眈々とうかがっていた。 ある年、真壁忠邦が所用で他国に出向いている時に事件は起こった。 真壁家の下級武士3名が、小山田家の門前で斬奸状を持ち切腹したのである。 直ちに取り調べが行われ、斬奸状の内容があらためられた。 『真壁家は竹田家重臣でありながら、他国に内通し、主家を呪詛する獅子身中の虫也。その証は真壁家持仏堂の中にあると知るべし。我らは主君竹田家を想うも、真壁家の禄に預かる者なれば、真壁家を斬奸するは逆賊のそしりを免れぬものなれば、ここに腹をきるものなり。』 「半造どのこれはいかがなことか。」 「それがしには身に覚えのないことにござる。」 「真壁殿、持仏堂の中をあらためさせてもらう。よいか。」 「なんと言われる!そのような輩の言葉を信じ、真壁家の持仏堂をあらためると申されるのか。」 「左様。仮にも武士たる者が3名腹を切ったのじゃ。それとも、なにかやましいことがおありかな・・・。さ、案内せい。」 「そうまで申されるならいたしかたありますまい。こちらにござる。」 半造は持仏堂に案内しながら何かおかしいと感じていた。腹を切った3名はたしかに真壁家につかえていた者だが、いずれもここ1年以内の者だ。それに持仏堂はそうそうと人を通す場所ではない。下級武士がその中を見るということはないはず。それに持仏堂をあらためるだけにしてはこの人数は・・・。 「こちらが真壁家の持仏堂にござる。」 「うむ、ではあらためさせてもらう。」 薄暗い中に仏像や位牌が飾られている。何もおかしい所はないはずであった。が、真壁の視線はある一点に注がれたまま凍り付いた。 「なっこれは!」 「真壁殿、なぜ竹田家の家紋が入った位牌があるのだ。ここで何を祈っていたのじゃ!」 「し、知らぬ。わしは知らぬ。一体誰がこのような・・・」 「斬奸状にあるはまことであったか。」 「・・・・・・」 「この期に及んで見苦しいですぞ。ええい、真壁半造を引っ立てい!」 そう命令を受け羽織を脱いだ者達は一様にたすきがけをすませていた。これは、あらかじめこうなることを予想していたとしか思えないことである。 「・・・これは面妖な。この身支度はいかがいたしたものか。」 「かかる非常の時に身支度いたすは当然でござろう。」 「ならば最初から身支度して訪れればよかろう。羽織で隠す必要は微塵もないはず。それに・・・早急にはせ参じてくるのに、鎖帷子を着込むゆとりがあったと申されるのか!」 「くっ問答無用。申し開きたいことがあれば、吟味の座にてたまわろう!」 「はかったな!」 「血迷うたか、真壁半造!」 「この一件小山田倍雪のはかりごとであろう!我に身に覚えのなきこの位牌、そして下級武士の切腹。その下級武士も正体はらっぱ者であろう。これらのこと、小山田の謀略と考えればすべてにつじつまがつく!」 「ええい抵抗するか。斬れい、真壁を斬りすてい!」 ・・・・・数刻の後・・・・・・ 所用から戻った忠邦は門をくぐり家の玄関口に来た。これまで誰一人として家人を見かけていない。 「おかしい、門番もいないとはどういうことだ。・・・血のにおいがする。もしや!」 忠邦が家あがると目に入ったのは、凄惨な光景だった。 「な、これはどういうことだ!」 あたりに飛散した鮮血、倒れたふすま、荒らされた家、そこかしこに横たわる家人の死体、多くの人が斬り合った末殺された跡が見て取れる。 「あ、兄じゃ!兄じゃまで殺されているとは・・・。父上はどこに・・・父上ー!」 忠邦の父は、持仏堂近くに倒れていた。肩口から斬られ瀕死の重傷を負っているが、まだ息があった。 「父上、これはいったいどういうことですか。」 「忠邦か・・・。小山田にはかられた。我らは謀反人に仕立て上げられたのじゃ。」 「おのれ小山田!この俺がそっ首たたき落としてやる!」 「ならん。今動いてはならん。お前は身分を隠し、剣に生きよ。その剣の腕前がきっと役に立つ日がくる。よいな、時期を待ち真壁家を再興してくれ。これはわしの遺言じゃ・・・。」 「父上・・・。分かりました、真壁五郎左右衛門忠邦。必ずや真壁家を再興してみせます。」真壁半造は満足そうにうなずいたあと、大きく痙攣し息を引き取った。 「父上、さぞや無念だったことでしょう。父上の無念、かならずや晴らして見せます。」 あの忌まわしき事件から何年経ったであろうか。忠邦は剣の腕を磨きながら諸国を放浪し、名のある武芸者を訪ね歩っていた。 父の遺言である真壁家再興、自らの悲願である小山田倍雪への復讐はいまだ果たされずに、偽名である結城左近という名だけが知られるようになっていた。 いつになれば真壁の名を出すことができるのか、いつになれば小山田倍雪に復讐することができるのか。おのれの志を隠し、武芸を磨く日々だけが虚しく過ぎていった。 ある日、町中でつまらない喧嘩に巻き込まれてしまった。相手は生きがいいだけの無法者3人だったが、はなから勝負は見えていた。無法者は往来に無惨な死に様をさらすことになった。 「つまらん。」 野次馬に囲まれながらのつまらない喧嘩。 「かつて天下随一の武門と唄われた真壁家も落ちたものだ。」 こんな町はそうそうに出よう。足を早めてその場を立ち去ろうとすると、奇妙なイントネーションの日本語を話す南蛮人に話しかけられた。 「3人をあっというまに倒すなんてあなたすごいアル。私強い人に興味あるアルヨ。私そこの旅籠に泊まってるアルヨ。よかったら一緒に食事でもどうアルか?」 ちょうど路銀もつきかけていたころだった。南蛮人は金を持っている。ここいらでいい出資者をさがさねばと思っていたところだ。渡りに船と、その申し出を受け入れた。 「あなたの剣術すごいアルヨ。私『ゴーガナス』いう国から来たアルヨ。あの国でも剣術盛んあるが、あなたのははじめて見たアルヨ。なんていう剣術アルか?」 「・・・・・・」 「無口な人アルネ。でもあなた強いアル。強い人にはいい話しあるアルヨ。『ゴーガナス』いますごいことなってるアルヨ。剣術大会で優勝した人と結婚する、王女様言ったアルネ。あなたどうアルか。優勝すれば、べっぴんの王女と結婚出来るアルヨ。ゆくゆくは王様にもなれるアルヨ。」 「・・・なんだと。もう一度言って見ろ。」 「アイヤーごめんアルヨ。気にさわったら許して欲しいアル。」 「そうじゃない。その剣術大会の話だ。」 「あなた興味あるアルか。いくらでも話すアルよ。このあいだ・・・・・・」 ここにゴーガナス王国に旅立つ異国の剣士がいる。 胸に秘めたるは、父の遺言、おのれの悲願。 「剣術大会に優勝すれば真壁家を再興できる。聞けばゴーガナスは大国だ。その軍事力があれば小山田倍雪にも対抗できる。俺はなんとしてでも優勝しなければならない!」 彼を待ち受ける運命やいかに。 完
*そして、私が書いた真壁五郎左右衛門忠邦の試合後の話* *『敗者・〜伊吉その壮絶なる生涯〜』* 恵土(えど)貧乏長屋。 ここに悪人に対する苛烈な取り締まりから鬼と呼ばれた岡っ引きがいた。 これは鬼と呼ばれた男の生涯を描いた壮絶なドラマである。(語り:田口トモロヲ) 「おう今けえったぜ。」 「ちゃんお帰りー。」 「おう伊吉、いい子にしてたか。おっかさんを困らせてねえだろうな。」 「大丈夫だい。いまもお粥を作ってあげてたんだい!」 「そうか、そいつはすまなかったな。これはいい子にしてた褒美だ。ほらよ。」 そう言うと与兵はまんじゅうを渡した。 「わーい、まんじゅうだ♪」 「あわてて食べて、のどにつまらせるんじゃねえぞ。」 「わかってらい。」 与兵は奥の部屋に上がると、妻の様子を伺った。 与兵の妻は病弱であった。たびたび体調を崩すことがあったが、今回の病は長引いていた。 「どうでえ調子は。」 「あなたおかえりなさい。すみません、私がこんな体だから、あなたにばかり苦労をかけて。」 「なあに気にすんな。お前は病気を治す事だけを考えてな。」 「今日はいくぶん調子もいいようですから、夕食の準備でも・・・」 「いいってことよ。無理すんな。」 「それと薬を買ってきてあるから、お粥を食べたらちゃんと飲んでおくんだぜ。」 「ええ、ありがとうございます。薬代だってばかにならないというのに・・・あなた、本当に無理しないでくださいましね。」 「ああ、わかってる。」 貧乏長屋に暮らす岡っ引きがまんじゅうや薬を持って帰ってくる。病床の妻にはそれがどういうことか分かっていた。だからこその言葉だった。 「あなた、ほんとうに無茶はしないでくださいましね。」 「鬼岩様、此度の件うまく処置いたしやした。」 「うむ、ご苦労。そなたはよくやってくれるな。紀州屋、その方も与兵には頭があがらぬな。」 「はいまったくその通りでございます。与兵のおかげで、私も枕を高くして眠れるというもの。」 「ときに紀州屋、すこし小腹が空いたが、そなた菓子を持ってきたそうだな。」 「はい、鬼岩様の大好きな・・・山吹色の菓子を持参いたしました。」 「紀州屋、これからも頼むぞ( ̄ー ̄」 「分かっております。それと与兵、これからもよろしく頼みますよ(☆ωー)」 「へへ、旦那分かっておりやす。」 そう言うといく枚かの小判を懐に入れた。 「それと申し訳ねえんですが、その茶菓子も頂きたいのですが・・・」 「ん、面白いことを言う奴じゃ。おぬしは甘い物が好きなのか?」 「まあそんなところでやして・・・」 「よいよい、いくらでももってゆけ。」 「はっありがとうごぜえやす。」 「おーい伊吉。」 「なんだいとおちゃん。」 「向かいの太郎吉が風邪を引いてるそうだから、これでなにか精のつくもんでも買ってこい。それと3件隣の大工の松吉が足を滑らして足をくじいちまったそうだから、こいつをつつんでってやりな。大工が歩けねえんじゃ仕事にならねえからな。」 「うん、わかったよ。」 伊吉は、岡っ引き与兵の息子として生を受けた。 父は義理人情に厚く、長屋の人々から慕われていた。伊吉はそんな父が大好きだった。 「俺も大きくなったら、ちゃんみたいな岡っ引きになるんだ。」 それが伊吉の口癖だった。 伊吉は、幼少の頃より父から十手術の手ほどきを受けていた。巷では、侍に勝るとも劣らないと称される与兵からの稽古とその天賦の才能でめきめき腕を上げていた。 伊吉は幸せだった。 心優しい母がいる。 頼れる父がいる。 気のいい長屋仲間がいる。 だが、そんな幸せは夢のように消え去ってしまった。 あの雪の降る冬の日に・・・ 「鬼岩様、例の件うまく処理しておきやした。」 「うむ、ご苦労。」 「鬼岩様も来年には勘定奉行になられることですし、これで秘密を知る者もいない・・・。雪解けが楽しみですな〜。」 「紀州屋おぬしも悪よのう。」 「いえいえ、鬼岩様には及びませぬ。」 「ぬっふっふっふっ、与兵これからも頼むぞ。」 「・・・へい、分かっておりやす。」 よぉーポン、はっポン 「鬼岩様!」 「おのれい、何奴!」 「ひとーつ人の生き血をすすり・・・」 「ええーい、姿をみせろ!」 「ふたーつ不埒な悪行三昧。みっつ醜い浮き世の鬼を、退治して見せよう桃太郎!」 「貴様ー、何者だ!」 「町奉行鬼岩、紀州屋と結託し私服を肥やし、邪魔者は与兵を使い闇に葬る・・・。許せん!」 「曲者だー、出会え出会えーー!!」 ・・・・・同時刻貧乏長屋・・・・・ 「おっかあ、ちゃんの帰り遅いね。」 「あの人もお勤めで忙しいのでしょう。伊吉もお腹がすいてたら先に食べていいんだよ。」 「嫌だい。せっかくお隣からカモをもらったんだ。今朝、ちゃんと約束したんだ。今夜はみんなでカモ鍋にするって・・・。先になんて食べられるか。」 「ええ、そうね。早く帰ってくるといいわね。」 その晩、ついに与兵は帰ってこなかった。 翌朝 与兵は変わり果てた姿となって無言の帰宅をした。 「うわーーん、とおちゃーん!」 「ああ・・・あなた・・・。」 「ちくしょう、誰が誰がこんなことをしやがったんだ。俺のとおちゃんが何をしたっていうんだ・・・。かあちゃん、なんでだよ。なんでこんなことになるんだよ。」 与兵の妻は黙って息子を抱きしめるしかなかった。妻には分かっていたのだ。夫が何をしていたのか。罪もない人を殺めていたことも。それが自分のためであることも、そして、いつかこんな日が来るのではないかということも・・・ この事件があってからというもの、あれだけ良くしてくれた長屋の住人も、どこか冷たくあたるようになっていた。 人の口に戸を立てることはできない。どこからか噂が流れてきたのだ。与兵は悪人だ。あそこは悪人の家族だと・・・ 伊吉は変わった。 人を、世間を、国を、すべてを憎んだ。そして、与兵にしつけられた悪人を憎む心は、ゆがんだ形となって伊吉の人格を形成していくのだった。 与兵の死から3年後、与兵の妻は失意のうちにこの世を去った。 伊吉を止める者は誰もいなくなった。 伊吉を誰もが恐れるようになった。 「あれは鬼の子じゃ。」 「あいつは罪人に対し情けをしらない。」 「こないだも大人の無法者とケンカして半殺しにしたそうじゃ。」 「あの眼をみてみい。あれは人じゃない、鬼の眼じゃ。」 伊吉も自ら好んで鬼と呼ばせていた。人を喰らう鬼。そう呼ばれたかった。 「そうさ、俺は鬼さ。人呼んで鬼の伊吉とは俺様のことよ。」 十数年後 ここに鬼と呼ばれる男がいた。 罪人に対する苛烈なまでの取り締まり。 自分に敵対する者に対する容赦ない仕打ち。 ゆすり、たかり、おどし、地位を利用してなんでもやった。 そして最も恐れられたのが、その十手の腕前だった。刀を持った侍でも、伊吉にはかなわなかった。 ある日めし屋で酒を飲んでと、隣の床机からの話が聞くとはなしに耳に入った。 「今日は日雇いで舟場人足をしたんだがよ、南蛮船の荷物を降ろすことになったんだよ。」 「へー、南蛮船ってえと、あの波止場に停泊してる黒塗りの船か。」 「ああ、それが黒塗りなのは船だけじゃなえんだよ。船荷を降ろしてると、南蛮船の船長だという奴が話しかけてきてよ、そいつが船乗りだってのに全身黒ずくめで、いつも兜と面頬をしてやがるんだ。」 「そいつは妙な奴だな。」 「その異様な風体に驚いた俺は、その場から早く逃げ出そうとしたんだが、以外や以外。気さくに話しかけてきやがった。」 「お仕事ご苦労様アルヨ。おまえさん、なかなかの力持ちアルネ。喧嘩もなかなか強そうアルネ。」 「へへへ、わかりやすかい。これでも俺は、この船着き場一の力持ちで通ってるんでさあ。」 「それはすごいアル。力自慢にはいい話あるアルヨ。聞くアルか?」 「どんな話で?」 「実は私ゴーガナスある国から来たアルよ。その国で近日・・・・」 「とまあこんなわけさ。」 「なるほどな〜。お前はその話に乗らなかったのか?」 「とんでもねえ。『ごおがなす』なんて聞いたこともねえ国に行ってられるか。俺はまだ命がおしいや。」 「もったいねえな〜。優勝すりゃお姫さんと結婚できるってのに。そうすりゃ一国一城の主だってのに。」 「(なに・・・剣術大会で優勝するとお姫さんと結婚できる。お姫さんと結婚すりゃ、のちは王となることができるってわけか・・・。悪くねえ話だ。)」 伊吉は隣の床机に断りなしに、座った。 「おい、今の話詳しく聞かせてもらおうか。」 「げっお前は鬼の伊吉。」 「だ、旦那。あっしらは何もしちゃいやせんぜ。な、南蛮船で働いたなんてこともありやせん。」 「なあに、そんなこたどうでもいいんだ。それより今の話詳しく聞かせてくれ。もちろんただでというわけじゃねえ。おやじ、ここに銚子を2本ばかりつけてくれ!」 「へへへ、旦那、実はですね・・・・」 数日後伊吉は黒塗りの南蛮船で『ごおがなす』へと旅だった。 行く先はまだ見ぬ未知の国。 「へっへっへっ、おぜうさん待ってなよ。優勝は、この鬼の伊吉がもらった!」 *『敗者・〜伊吉エピローグ〜』* 目の前が真っ暗になった。 遠くの方でなにかが倒れたような音が聞こえた。 薄れゆく感覚の中、手を腹に持っていった。ぬるりと暖かいものが手に触れた。 こりゃ助からない。他人ごとのようだった。 次に気がつくと宙に浮かんでいた。 下の方で赤い鮮血の中にうずくまってる人がいる。その近くで、刀についた血を拭っている人もいる。 「ああそうか、俺は死んだんだ。・・・まあ、それもいいか。」 伊吉は疲れていた。 これまで休むことなく走り続けてきた。人を憎み、悪を憎み、鬼と呼ばれ、いつしか自分自身が悪人になっていた。それに気づいたのはいつだったか。 それでもしゃにむに走り続けてきた。それももう終わる。 光が見えた。 ああ、あれをくぐれば俺は終わるんだな。自然とそう理解できた。 光が近づき、意識がかすれていった・・・。 気がつくと、そこは見覚えのある場所だった。 狭い土間、壊れかけた戸板、薄汚れた部屋。 幼少のころ過ごした貧乏長屋だった。 「なんで・・・なんで俺はここにいるんだ。」 「おや、伊吉起きたのかい。」 「かあちゃん・・・、なんでかあちゃんがここに・・・。」 「なんでって、まだ寝ぼけているのかい。とおちゃんを待ってたら寝てしまったんだろう。早く帰ってきてくれるといいね〜。伊吉がせっかく準備してくれたんだから。」 いろりには鍋がしつらえてあった。 「これは・・・、見覚えがある。」 「見覚えがあるなんて、変なこというね。自分でやったんだからあたりまえじゃないか。」 「自分で・・・?」 伊吉は必死に頭を巡らした、この場所は間違いなく幼少の頃暮らした貧乏長屋だ。そして、この光景はあの日と同じ・・・ その時、入り口の戸が開いた。 「おう、遅くなったな。いまけえったぜ。」 その声に伊吉は振り返った。 父がいた。 あの日、帰りを待ち続け、ついには帰って来なかった父がいた。あの頃と変わらぬ父がいた。 考える必要はなくなった。 涙が溢れた。 「ちゃん!」 「おう泣いてやがるのか。わりいな待たせちまって。」 「ごめんよ、ごめんよとおちゃん。おいら、おいら悪いこといっぱいした。いっぱいいっぱいだ!」 「そうか。悪い夢でも見てたんだろ。さ、メシにしようぜ。」 「うん、おいらとおちゃんのためにがんばったんだ。」 「そうか、そいつは楽しみだ。」 「このネギを切るときにね・・・・・・」 これまでの出来事は幻だったなのか、それともこれが幻なのか。 それは誰にも分からない。 ここでは時、ここではない場所、ここではない世界の物語なのだから・・・ 完 *戻る*
恵土(えど)貧乏長屋。 ここに悪人に対する苛烈な取り締まりから鬼と呼ばれた岡っ引きがいた。 これは鬼と呼ばれた男の生涯を描いた壮絶なドラマである。(語り:田口トモロヲ) 「おう今けえったぜ。」 「ちゃんお帰りー。」 「おう伊吉、いい子にしてたか。おっかさんを困らせてねえだろうな。」 「大丈夫だい。いまもお粥を作ってあげてたんだい!」 「そうか、そいつはすまなかったな。これはいい子にしてた褒美だ。ほらよ。」 そう言うと与兵はまんじゅうを渡した。 「わーい、まんじゅうだ♪」 「あわてて食べて、のどにつまらせるんじゃねえぞ。」 「わかってらい。」 与兵は奥の部屋に上がると、妻の様子を伺った。 与兵の妻は病弱であった。たびたび体調を崩すことがあったが、今回の病は長引いていた。 「どうでえ調子は。」 「あなたおかえりなさい。すみません、私がこんな体だから、あなたにばかり苦労をかけて。」 「なあに気にすんな。お前は病気を治す事だけを考えてな。」 「今日はいくぶん調子もいいようですから、夕食の準備でも・・・」 「いいってことよ。無理すんな。」 「それと薬を買ってきてあるから、お粥を食べたらちゃんと飲んでおくんだぜ。」 「ええ、ありがとうございます。薬代だってばかにならないというのに・・・あなた、本当に無理しないでくださいましね。」 「ああ、わかってる。」 貧乏長屋に暮らす岡っ引きがまんじゅうや薬を持って帰ってくる。病床の妻にはそれがどういうことか分かっていた。だからこその言葉だった。 「あなた、ほんとうに無茶はしないでくださいましね。」 「鬼岩様、此度の件うまく処置いたしやした。」 「うむ、ご苦労。そなたはよくやってくれるな。紀州屋、その方も与兵には頭があがらぬな。」 「はいまったくその通りでございます。与兵のおかげで、私も枕を高くして眠れるというもの。」 「ときに紀州屋、すこし小腹が空いたが、そなた菓子を持ってきたそうだな。」 「はい、鬼岩様の大好きな・・・山吹色の菓子を持参いたしました。」 「紀州屋、これからも頼むぞ( ̄ー ̄」 「分かっております。それと与兵、これからもよろしく頼みますよ(☆ωー)」 「へへ、旦那分かっておりやす。」 そう言うといく枚かの小判を懐に入れた。 「それと申し訳ねえんですが、その茶菓子も頂きたいのですが・・・」 「ん、面白いことを言う奴じゃ。おぬしは甘い物が好きなのか?」 「まあそんなところでやして・・・」 「よいよい、いくらでももってゆけ。」 「はっありがとうごぜえやす。」 「おーい伊吉。」 「なんだいとおちゃん。」 「向かいの太郎吉が風邪を引いてるそうだから、これでなにか精のつくもんでも買ってこい。それと3件隣の大工の松吉が足を滑らして足をくじいちまったそうだから、こいつをつつんでってやりな。大工が歩けねえんじゃ仕事にならねえからな。」 「うん、わかったよ。」 伊吉は、岡っ引き与兵の息子として生を受けた。 父は義理人情に厚く、長屋の人々から慕われていた。伊吉はそんな父が大好きだった。 「俺も大きくなったら、ちゃんみたいな岡っ引きになるんだ。」 それが伊吉の口癖だった。 伊吉は、幼少の頃より父から十手術の手ほどきを受けていた。巷では、侍に勝るとも劣らないと称される与兵からの稽古とその天賦の才能でめきめき腕を上げていた。 伊吉は幸せだった。 心優しい母がいる。 頼れる父がいる。 気のいい長屋仲間がいる。 だが、そんな幸せは夢のように消え去ってしまった。 あの雪の降る冬の日に・・・ 「鬼岩様、例の件うまく処理しておきやした。」 「うむ、ご苦労。」 「鬼岩様も来年には勘定奉行になられることですし、これで秘密を知る者もいない・・・。雪解けが楽しみですな〜。」 「紀州屋おぬしも悪よのう。」 「いえいえ、鬼岩様には及びませぬ。」 「ぬっふっふっふっ、与兵これからも頼むぞ。」 「・・・へい、分かっておりやす。」 よぉーポン、はっポン 「鬼岩様!」 「おのれい、何奴!」 「ひとーつ人の生き血をすすり・・・」 「ええーい、姿をみせろ!」 「ふたーつ不埒な悪行三昧。みっつ醜い浮き世の鬼を、退治して見せよう桃太郎!」 「貴様ー、何者だ!」 「町奉行鬼岩、紀州屋と結託し私服を肥やし、邪魔者は与兵を使い闇に葬る・・・。許せん!」 「曲者だー、出会え出会えーー!!」 ・・・・・同時刻貧乏長屋・・・・・ 「おっかあ、ちゃんの帰り遅いね。」 「あの人もお勤めで忙しいのでしょう。伊吉もお腹がすいてたら先に食べていいんだよ。」 「嫌だい。せっかくお隣からカモをもらったんだ。今朝、ちゃんと約束したんだ。今夜はみんなでカモ鍋にするって・・・。先になんて食べられるか。」 「ええ、そうね。早く帰ってくるといいわね。」 その晩、ついに与兵は帰ってこなかった。 翌朝 与兵は変わり果てた姿となって無言の帰宅をした。 「うわーーん、とおちゃーん!」 「ああ・・・あなた・・・。」 「ちくしょう、誰が誰がこんなことをしやがったんだ。俺のとおちゃんが何をしたっていうんだ・・・。かあちゃん、なんでだよ。なんでこんなことになるんだよ。」 与兵の妻は黙って息子を抱きしめるしかなかった。妻には分かっていたのだ。夫が何をしていたのか。罪もない人を殺めていたことも。それが自分のためであることも、そして、いつかこんな日が来るのではないかということも・・・ この事件があってからというもの、あれだけ良くしてくれた長屋の住人も、どこか冷たくあたるようになっていた。 人の口に戸を立てることはできない。どこからか噂が流れてきたのだ。与兵は悪人だ。あそこは悪人の家族だと・・・ 伊吉は変わった。 人を、世間を、国を、すべてを憎んだ。そして、与兵にしつけられた悪人を憎む心は、ゆがんだ形となって伊吉の人格を形成していくのだった。 与兵の死から3年後、与兵の妻は失意のうちにこの世を去った。 伊吉を止める者は誰もいなくなった。 伊吉を誰もが恐れるようになった。 「あれは鬼の子じゃ。」 「あいつは罪人に対し情けをしらない。」 「こないだも大人の無法者とケンカして半殺しにしたそうじゃ。」 「あの眼をみてみい。あれは人じゃない、鬼の眼じゃ。」 伊吉も自ら好んで鬼と呼ばせていた。人を喰らう鬼。そう呼ばれたかった。 「そうさ、俺は鬼さ。人呼んで鬼の伊吉とは俺様のことよ。」 十数年後 ここに鬼と呼ばれる男がいた。 罪人に対する苛烈なまでの取り締まり。 自分に敵対する者に対する容赦ない仕打ち。 ゆすり、たかり、おどし、地位を利用してなんでもやった。 そして最も恐れられたのが、その十手の腕前だった。刀を持った侍でも、伊吉にはかなわなかった。 ある日めし屋で酒を飲んでと、隣の床机からの話が聞くとはなしに耳に入った。 「今日は日雇いで舟場人足をしたんだがよ、南蛮船の荷物を降ろすことになったんだよ。」 「へー、南蛮船ってえと、あの波止場に停泊してる黒塗りの船か。」 「ああ、それが黒塗りなのは船だけじゃなえんだよ。船荷を降ろしてると、南蛮船の船長だという奴が話しかけてきてよ、そいつが船乗りだってのに全身黒ずくめで、いつも兜と面頬をしてやがるんだ。」 「そいつは妙な奴だな。」 「その異様な風体に驚いた俺は、その場から早く逃げ出そうとしたんだが、以外や以外。気さくに話しかけてきやがった。」 「お仕事ご苦労様アルヨ。おまえさん、なかなかの力持ちアルネ。喧嘩もなかなか強そうアルネ。」 「へへへ、わかりやすかい。これでも俺は、この船着き場一の力持ちで通ってるんでさあ。」 「それはすごいアル。力自慢にはいい話あるアルヨ。聞くアルか?」 「どんな話で?」 「実は私ゴーガナスある国から来たアルよ。その国で近日・・・・」 「とまあこんなわけさ。」 「なるほどな〜。お前はその話に乗らなかったのか?」 「とんでもねえ。『ごおがなす』なんて聞いたこともねえ国に行ってられるか。俺はまだ命がおしいや。」 「もったいねえな〜。優勝すりゃお姫さんと結婚できるってのに。そうすりゃ一国一城の主だってのに。」 「(なに・・・剣術大会で優勝するとお姫さんと結婚できる。お姫さんと結婚すりゃ、のちは王となることができるってわけか・・・。悪くねえ話だ。)」 伊吉は隣の床机に断りなしに、座った。 「おい、今の話詳しく聞かせてもらおうか。」 「げっお前は鬼の伊吉。」 「だ、旦那。あっしらは何もしちゃいやせんぜ。な、南蛮船で働いたなんてこともありやせん。」 「なあに、そんなこたどうでもいいんだ。それより今の話詳しく聞かせてくれ。もちろんただでというわけじゃねえ。おやじ、ここに銚子を2本ばかりつけてくれ!」 「へへへ、旦那、実はですね・・・・」 数日後伊吉は黒塗りの南蛮船で『ごおがなす』へと旅だった。 行く先はまだ見ぬ未知の国。 「へっへっへっ、おぜうさん待ってなよ。優勝は、この鬼の伊吉がもらった!」
*『敗者・〜伊吉
目の前が真っ暗になった。 遠くの方でなにかが倒れたような音が聞こえた。 薄れゆく感覚の中、手を腹に持っていった。ぬるりと暖かいものが手に触れた。 こりゃ助からない。他人ごとのようだった。 次に気がつくと宙に浮かんでいた。 下の方で赤い鮮血の中にうずくまってる人がいる。その近くで、刀についた血を拭っている人もいる。 「ああそうか、俺は死んだんだ。・・・まあ、それもいいか。」 伊吉は疲れていた。 これまで休むことなく走り続けてきた。人を憎み、悪を憎み、鬼と呼ばれ、いつしか自分自身が悪人になっていた。それに気づいたのはいつだったか。 それでもしゃにむに走り続けてきた。それももう終わる。 光が見えた。 ああ、あれをくぐれば俺は終わるんだな。自然とそう理解できた。 光が近づき、意識がかすれていった・・・。 気がつくと、そこは見覚えのある場所だった。 狭い土間、壊れかけた戸板、薄汚れた部屋。 幼少のころ過ごした貧乏長屋だった。 「なんで・・・なんで俺はここにいるんだ。」 「おや、伊吉起きたのかい。」 「かあちゃん・・・、なんでかあちゃんがここに・・・。」 「なんでって、まだ寝ぼけているのかい。とおちゃんを待ってたら寝てしまったんだろう。早く帰ってきてくれるといいね〜。伊吉がせっかく準備してくれたんだから。」 いろりには鍋がしつらえてあった。 「これは・・・、見覚えがある。」 「見覚えがあるなんて、変なこというね。自分でやったんだからあたりまえじゃないか。」 「自分で・・・?」 伊吉は必死に頭を巡らした、この場所は間違いなく幼少の頃暮らした貧乏長屋だ。そして、この光景はあの日と同じ・・・ その時、入り口の戸が開いた。 「おう、遅くなったな。いまけえったぜ。」 その声に伊吉は振り返った。 父がいた。 あの日、帰りを待ち続け、ついには帰って来なかった父がいた。あの頃と変わらぬ父がいた。 考える必要はなくなった。 涙が溢れた。 「ちゃん!」 「おう泣いてやがるのか。わりいな待たせちまって。」 「ごめんよ、ごめんよとおちゃん。おいら、おいら悪いこといっぱいした。いっぱいいっぱいだ!」 「そうか。悪い夢でも見てたんだろ。さ、メシにしようぜ。」 「うん、おいらとおちゃんのためにがんばったんだ。」 「そうか、そいつは楽しみだ。」 「このネギを切るときにね・・・・・・」 これまでの出来事は幻だったなのか、それともこれが幻なのか。 それは誰にも分からない。 ここでは時、ここではない場所、ここではない世界の物語なのだから・・・ 完
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