「母様、ほら、こんなに綺麗なお花!」
玄関のドアを勢い良く開け、一人の少年がその両手一杯に真っ赤なユリの花を抱えて駆け込んで来た。さらさらと風になびくショートカットの銀色の髪、利発そうな顔つき、そして紫の瞳を持つ少年。この少年の名前はゼノー、今年四歳になったばかりだった。
その家は、ガルデニア侯爵領、最北部、ガーニア地方の荒野にあるただ一件の家。
「まぁまぁ、寒かったでしょう?」
家の奥から中年の女が迎え出た。彼女の名前はルチア、背の低い美人とは言いがたい、茶色の髪と目のこの家の女主人。少年はそのまま勢い良く彼女の胸の中に飛び込む。
「こんなに冷たくなってるじゃないの?」
ルチアはゼノーの頬をその手でそっと包み込んだ。
「母様、はい!」
「まぁ、八重咲きのユリね。本当に綺麗!ありがとう。」
彼女はユリを受け取ると傍らのテーブルの上に置き、ゼノーを暖炉の前に連れて行った。
「もうそろそろ秋も終わり。荒野を吹く風が一段と冷たくなって・・いい?ゼノー、もうあまり遅く迄外に出ていては駄目よ!分かったわね。」
「はい、母様。」
彼女は素直に頷くゼノーの頭を満足げにやさしく撫でた。
「母様、リーはどうなんですか?この花、リーの部屋にも飾ってあげていいですか?」
「ええ、熱も下がったようだし、そろそろ起きてもいいと思うわ。じゃ、一緒にお花を持っていってあげましょうね。」
「はいっ!」
嬉しそうに微笑むとゼノーは、花瓶に花を入れ、水を入れに裏口へ走って行く。
「ほーっ・・・」
(こんなに素直でいい子なのに・・・侯爵様はどうしてこんな所に閉じ込めておくのだろう?)
彼女は大きく溜息をつくとゼノーが出ていったドアを見ながら思っていた。
二階にある寝室は四つ、その中の一つにゼノーと瓜二つの少年が寝ていた。その少年の名前はリー、ゼノーの双子の弟だった。少し背の低い事と細い事以外、外見はゼノーとほとんど同じ、ただ一つだけ、その瞳が空を写した青であるという事だけが違っていた。
「リー、ほらこんな綺麗な花が咲いてたんだよ。」
「わあ、綺麗!僕も早く良くなって兄様と一緒に探しに行きたいな。」
目が覚めたリーはその愛らしい笑みを二人に向ける。
「もう少し良くなれば、昼間の暖かい時ならいいわよ。」
「ホント?」
リーは目を輝かせて聞いた。
「ええ。これでもう熱が出なかったらね。」
ルチアはリーの額に手をやると熱がもうないのを確認して微笑む。
双子であっても、ゼノーが病気一つせず、元気一杯走り回っているのとは反対に、リーは生まれつき身体が弱く病気がちだった。が、成長するにつれ、丈夫にはなり、最近は滅多に熱を出すこともなかったが、急激な冷えで久しぶりに熱を出して寝込んでいた。
「僕も、一人で行くより、リーと一緒の方が楽しいよ!」
「うん。僕、すぐ良くなるからね。」
ルチアの目には本当に仲のよい素直な双子にしか見えなかった。実の所、彼女はこの家の本当の主でもなく、又この双子の母親でもない。この双子とここで暮らすようになったのは、彼らが生後間もない頃、丁度生まれたばかりの自分の息子を失くし、夫までも失くした時、叔父の勧めで住み込みで世話をする事になった時からだった。
何故ガルデニア侯爵が自分の息子をこのような荒れ地にまるで幽閉でもするように押し込んでおくのか、彼女は一切知らなかった。叔父も聞く必要はないと言って教えてはくれなかった。そして失くした自分の息子が二人に増えて帰ってきたような気がした彼女は、双子を本当の息子のように育て、双子も彼女が母親であると思い込んで育った。
他に身寄りのない彼女がここでの衣食住を保証される条件に、最低月に一回は双子に関しての報告を書にしたためて叔父に送らなければならなかった。彼女はただでさえ、このような所においておかれるのに、まるで監視をつけられているようなこの双子を気の毒に思っていた。が『何故?』という思いは常に彼女の心にあった。
ルチアと双子以外に後は、下男のジャンがいた。もう五〇過ぎの彼は、やはり身寄りが全く無く、道で行き倒れになりかかっていた所をルチアの叔父に助けられ、その恩に報うべくここへ来たのだった。本来ならルチアもジャンも共に侯爵家の使用人という事になるのだが、ジャンはルチアの叔父に助けられた事もあり、彼女を奥様と呼んで仕えていた。
ジャンの主な仕事は、雑用と近くの村まで叔父からの手紙と生活費を受け取りに、そして食料などの調達に行く事だった。荒野のちょうど真ん中辺りに位置するこの家を訪ねてくる者は一人もおらず、四人は静かな毎日を送っていた。
そんな単調な毎日が続くある日、ルチアの疑問が解ける事件が起こった。そしてそれが双子のこの平穏な暮らしの終止符となった。
「母様、早くぅ!」
「リー、そんなに早く走ると、転びますよ!」
すっかりよくなったリーは、ルチアと共にゼノーの案内で、ユリの群生している岩場を見に来たのだった。
「あそこだよ!」
目の前には切り立った岩山があった。見上げるとユリはその岩壁の先のほうに咲いている。
今いる所からでは、険しすぎて登れない、リーはゼノーの指さす方にそれを見つけると、ぐるっと回り、登って行く。
「リー、気をつけるんだよ!昨日雨が振ったから滑りやすくなってる!」
「うん!今日は僕が取ってくるから、兄様もそこで待ってて!」
ゼノーは嬉しそうなリーに自分も嬉しかった。
二人共微笑みながら、リーがその岩壁の上に立つのを見上げて待っていた。
しばらくして、リーが手を振りながら、ユリの花の向こう側に立った。
「母様ぁ!兄様ぁ!」
「あまり先の方へ来ては駄目よ!」
「はーい!」
「リー、僕も今行くよ!」
リーのはしゃぎ様にゼノーはルチアと顔を見合せ笑う。そして、ゼノーが自分もそこへ行こうと走りかけた時だった。一本でも多く、少しでも大きくて綺麗な花を、と思い、知らず知らずのうちに崖の先の方まで来ていたリーの足が滑った。
「うわあああああ!」
「リーっ!」
二人同時に叫ぶ。ルチアはどうしていいのか分からなかった。いや、その時間もない。落ちたら命がないという事だけ、はっきりしていた。ルチアの目にはリーが落ちてくるのがまるでスローモーションの様に見えた。・・と、動揺からくる目の錯覚ではないような気がして、ふと横に立つゼノーを見た。そこには、両手をリーの方に差し出し、意識を集中しているゼノーが立っていた。風になびいていた銀色の髪は総立ちし、その目は紫というよりも赤に近い色。
「ゼ、ゼノー・・・・?」
ルチアの頭には、もはやリーの事はなく、棒立ちとなって、横に立つ異様なゼノーに見入っていた。
「あ・・あ・・・」
そのあまりにもの異様さに彼女は二、三歩後ずさりするとペタンとそこに座った。
その目はゼノーに釘付けになったまま。
気を失ったリーがゆっくりと地面に着くと、ゼノーの目と髪は元に戻った。が、それでもルチアはゼノーを見たまま震えながら座っていた。
「母様?」
自分自身に何が起こったのか、自分が何をしたのか、全く感じないゼノーはそんなルチアを見て不思議に思い、彼女に問いかけた。
「あ・・・」
ルチアは、いつもなら可愛らしく感じるその紫の瞳、それに見つめられた途端、先程の赤い瞳が脳裏に浮かんだ。彼女の目にはゼノーの瞳の上にそれが重なるようにして見え、その恐怖のあまり、彼女は気を失い、そこに倒れてしまった。
「母様、母様!」
そんな事とは全く知らないゼノーは、しばらく彼女の背を揺すり起こそうと呼びかけていたが、あきらめてリーを起こし、二人でジャンを呼びに行った。
「そうですか・・ゼノー坊ちゃまが・・・」
自分の寝室で気がついたルチアは、ジャンに今日起こった出来事を話した。ルチアより半年遅れてこの家に来たジャンは、ここへ来る前に双子についての噂を耳にしていた。
「そう言えば、ちょうど辻褄が合う・・が、まさか、ゼノー坊ちゃんとリー坊ちゃ
んの事だとは・・・いや、もしかしたら、とは思ったが・・・・そりゃそうだ。あ
んな素直でいい子が悪魔の子であるはずないんだ・・・それに、確かソマー城にいると聞いていたし・・・作り話かとも思って・・・。」
独り言のように小声で呟くジャンにルチアはその話を聞かせてくれるよう頼んだ。
最初は単なる噂だからと渋っていたジャンも、あまりにもしつこく聞くルチアに負け、少しずつ話し始めたのだった。
「ガルデニア侯爵様はカミールア夫人以外にフローディテ様と言う愛人を一緒にお屋敷に住まわせておりました。彼女は、確か隣国との戦の戦利品として無理やり連れてこられたとかで、まだ十代で、金髪とリー坊ちゃまと同じ青い瞳の可愛らしい娘だったそうです。そして、まだ夫人との間に子が授からないうちにその方が身ごもられたのです。ですから、夫人の呪いで悪魔の子が授かったとも噂されてましたし、そんな事は全くないのだが、夫人の作り話が噂を呼び、それが広がったのだとも言われました。ですから、私も実際の所どうなのか、全く知りませんでした。どちらかと言うと、魔物の瞳と言われる紫の瞳を持って生まれてしまったが故の作り話だと、私は思っていましたが・・・」
四年前、・・・ガルデニア侯爵邸の一室・・
「おぎゃああ!おぎゃああ!・・」
「フローディテ様、お生まれになりましたよ。お坊っちゃまです。なんとまぁ、元気な。」
彼女の乳母である、セメが嬉しそうに、産湯を使ったあとの赤ん坊を抱いて母親であるフローディテの目の前に連れてきた。が、フローディテはまだ苦しそうだ。まだ陣痛が続いているようだった。
「フローディテ様?・・・・まさか?」
セメは医師のマルキムと目を合わせた。もう一人・・・双子だったんだ!と悟った
二人は準備にかかった。
「いかん・・産声も上げないぞ!」
マルキムとセメは焦る。最初の子と違ってはるかに小さく弱々しい。今にも死にそうだった。二人が駄目だと諦めた時、母親の横のバスケットに寝かせておいた赤ん坊が突然目を剥いた。
「な・・・な・・・」
二人はその場で言葉を失い立ち尽くした。赤ん坊はその紫の目を大きく見開き、異様なまでの気を発していた。そして、その小さな腕をもう一人の赤ん坊に差し出した。その目は今や、紫というより赤く輝いていた。まるで悪魔の目のように、妖しい輝きを放っていた。
と、次の瞬間、すっと目を閉じ、腕を下げる。
その途端、弱々しかったもう一人の赤ん坊が元気良く産声を上げだした。
「おぎゃああ!おぎゃああ!」
驚きの余り、マルキムは自分が今持っているその赤ん坊を落としそうになった。とにかく産湯をと思ったセメは、今の出来事に動揺しながらも、その赤ん坊を湯に付けた。
「セメ・・・・」
何が起きてたのか全く知らないフローディテが呼びかけた。
「は・・はい、はい・・・お、お二人共お坊っちゃまですよ。とても元気な。」
「そう・・・・」
フローディテは安心して微笑んだ。
マルキムとセメは今日の出来事を二人だけの秘密にしておくことに決め、何事もなかった顔をして、狩りに出掛けている侯爵に双子の男の子の誕生を報告した。
「双子だと?」
「は・・はい。旦那様。」
ガルデニア侯爵は帰るとすぐ母子のいる部屋を訪れた。セメが畏まって迎え出た。
フローディテも双子もぐっすり眠っていた。
「双子・・・・か・・・。」
侯爵はフローディテの横のベッドで眠っている双子の顔を見ると呟いた。 「ばかに大きさが違っておるが、こっちはこれでも育つのか?」
「は、はい、旦那様。マルキム先生は大丈夫だろうとおっしゃってみえました。」
「ふん・・大丈夫なのか・・・」
侯爵はセメの答えに不満気にそう言うと、おもむろにその腰に掛かっていた剣を抜き出した。
「だ、旦那様っ!」
思わずセメが大声を出す。
「こ、侯爵様?」
セメの声に目を覚ましたフローディテが上体を起こして叫ぶ。
が、侯爵は二人の声など全く気にせず剣を両手に持つと、その刃先を小さい方の赤ん坊の胸に突きつけた。
「二人は要らぬ。」
侯爵が剣を持つ手に力を入れ、その小さな胸を貫かんとした時だった。隣で眠っていた赤ん坊が、生まれ出た時を再現するかのように目をカッと見開いた。
「うっ・・・・」
その赤く妖しく輝く目に侯爵は金縛りにあったかのようになり、身動き一つできないままその目から視線を離せられずにいた。全身を寒けが走り、硬直していた。
「ヒ、ヒィィ・・・・・」
その異様な光景にセメは腰を抜かし、フローディテは恐怖に怯えてた。
「はあ、はあ、はあ・・・・」
赤ん坊が目を閉じ、ようやく身体を動かせるようになった侯爵は、その恐怖の為、ドアまで後ずさりした。
「わ、わしは知らん・・・そ、そのような悪魔の子など・・・わしは、知らんゾ。」
侯爵は震える声でそう言い捨てると慌てたようにドアを開け、部屋を出ていった。
「ふふふ・・ほほほほほ・・悪魔の子・・・ほほほほ・・・侯爵様のお子だから・
・・・ほほほ・・・おーっほっほっほ!」
「フ、フローディテ様っ!」
その恐怖の為、気がおかしくなり笑いつづけるフローディテを抱きしめたまま、セメは何も成す術がなかった。
そして、どこから漏れたのか、その話は領地に広がっていき、侯爵の圧政に苦しめられていた領民は当たり前の事だと口々に噂した。
そして、狂人となり果てたフローディテは、彼女の乳母セメとそしてその双子と共に領地西部にあるソマー城に追いやられたのだった。
ジャンは一つ一つ思い出すように話していた。
「恐らくソマー城に行ったものの、一緒にいることができなかったのでしょう。本当にお気の毒な事です。領民もフローディテ様には同情していました。私も夫人の作り話で狂人にされてしまったのだろうと・・・よもやそれが、本当の事だとは・・」
「ジャン、私はどうしたら?」
あの時のゼノーの様子が脳裏に焼きつき、それを思い出しただけで身震いがしてくる彼女は心配だった。今後自分があの二人に今までのように接する事ができるのかどうか、と。
「・・今までと同じようにするしかないでしょう。」
ジャンが溜息をついてから言った。
「でも・・・」
「そうしなくちゃ仕方ありませんよ。・・・あなたもそして・・私も。」
他に行くべき所もないのだから、とジャンは考えながら言った。
「そうね・・何かあるとは思ったのだけど。」
何故行くところのない自分をそしてジャンを雇ったのか、何故報告書めいた物を書かなければならないのか、今になってはっきり分かった彼女だった。
−コンコン−
「は、はい。」
ドアのノックの音にルチアは一瞬びくっとしてから慌てて返事をした。
−カチャリ−
ゼノーとリーがドアの隙間から覗くようにして入ってきた。
「母様、もう大丈夫?」
ジャンがベッドの横を離れると二人はぴったりとベッドにくっつきルチアを見た。
「え・・ええ。」
ルチアは笑顔を作ろうとした、が、顔が強張りできそうもなかった。
「ごめんなさいね、心配かけて。でももう大丈夫だから。」
「ホントに?」
ルチアの表情に不安を覚えたのか二人は心配顔で聞き返した。
「ホントのホント。」
ルチアは勢いを付けて起き上がった。
「お夕飯の仕度をしますからね。もう少し遊んでてちょうだい。」
「はーい。」
二人は起き上がったルチアに安心すると、二人同時に返事をし元気に部屋を出ていく。
そんな二人を少し悲しげな表情で見送ったルチアはジャンと顔を見合わせると溜息を付き、ゆっくりと起きあがって部屋をあとにした。
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