### その4・戦士アレクシード ###

 気が遠くなるような暗闇での生活。1日がいつ始まり、いつ終わるのかもわからない。壁につけた印である程度季節や月日はわかっても、実際には感じることができない。その暗闇の中でセクァヌは1つ、2つと歳をとっていった。これがいったいどのくらい続くのか、このまま死ぬまで続くのだろうか?と、その印を見るだけで絶望的になりながら、それでも耐えていた。

そんな生活の中で、老医師シュフェストは求めつづけた光を見ずに息を引き取った。
久しぶりに見つめた死だった。が、それまでと異なり、脱出こそはできなかったが、シュフェストの死顔は安らかだった。セクァヌの手を握り、希望を持ち生き続けるんだよ、とやさしく言った言葉が最後だった。

−シュッ・・タン!−
「今日はこのくらいかしら?」
セクァヌはその日何匹目かのトカゲを小袋に入れながら呟く。
暗闇の生活がセクァヌの感を通常では考えられないほど鋭いものにしていた。まったく見えなくとも気配で的確に位置を見極め間髪入れず攻撃する。貴重な蛋白源である食料の捕獲はほとんどセクァヌが確保しているといってもよかった。
老医師から様々な知識を、大臣夫妻からは知識とそれ以外に剣とダガーを教えてもらい、加えて狭い洞窟内で敏速に行き来する獲物を追っているうちに、セクァヌ自身の俊敏性も高まる。一瞬の気配の読み取りと瞬間の移動を伴う攻撃。生まれつきの能力もあったかもしれないが、それらは彼女を信じられないほど常人のものとはかけ離れた高い能力を持つ少女へと育てていった。


一体いつまでこれが続くのか、考えまいとしてもつい考えてしまう。そんなことに思いを馳せていたある日、セクァヌは背後にそれまで感じたことのなかった気配を感じ、振り向きざま身構える。
「誰?」
距離は結構あったが、大きな気配、確実に人間のものだった。
また誰かが落とされた?と思いつつ、セクァヌはじっとその暗闇を見つめる。
「その声は少女・・か?・・まさかセクァヌ姫?」
低く響く男の声にセクァヌはびくっとする。気配もだが、その声は確かに大臣のものではない。
−ガラガラガラ・・・バッシャーーン!−
緊張して短剣を構えていたセクァヌの耳に、その男が足元を踏み誤ったのか地下水まで滑り落ちた音が聞こえた。その辺りはあまり深くないはずだ、と思いながら水音がしたところへ近づく。
「大丈夫?」
ずぶぬれになったその男から敵意や悪い気配は感じられない。
セクァヌは手を差し出しながら言葉をかける。
−ガシッ!−
男の大きな手がセクァヌの手を握り、彼女は思わずびくっとする。
「あ、悪い・・驚かすつもりじゃなかったんだが・・・」
敏感に感じ取った男は、慌ててセクァヌの手を離す。
「あ、いえ、別に。」
今一度差し出した手を、こんどはそっと握ると男は岸へとあがる。
「少しは目が慣れたんだが・・こう暗いとな・・。はっはっはっ。」
男は大らかに笑うと、すぐ目の前のセクァヌを見つめる。
「まさかご無事だとは・・いや、そうだと思ったからこそ来たのだが・・。」
すっとその前に跪くと恭しく頭を垂れ言葉を続けた。
「私の名はアレクシード。姫と同じスパルキア人です。」
「え?」
男はまだ何も言っていないセクァヌを早くもそうだと断定していた。
「助けに参りました。私と共にここを脱出致しましょう!」
「あ・・あの・・・・」
「さー、姫。」
その『姫』という言葉に、セクァヌの全身は硬直した。記憶の底に埋もれていた血の光景が再び蘇っていた。
「姫?」
「ィヤ・・いや〜〜〜・・・・」
−タタタッ!−
全身を恐怖と寒気が走った。セクァヌは思わずその場から逃げ出す。
「・・・っと・・・どうしたんだ?」
一人残された男は、予想外の反応に呆然としていた。


そして、セクァヌから男の事を聞いて探しに来た大臣夫妻からアレクシードは事情を聞かされる。
「そうか、それで・・・。」
名前に『様』をつけて呼ばれることも拒絶するセクァヌに、男は考える。いくらなんでも族長の姫を呼び捨てにもできない。
「お嬢ちゃん・・・でも、まずい・・か?」
そう呟きながら笑ったアレクシードに、セクァヌはそれでいいとコクンと頷く。
「では、オレの事はアレクと呼んでくれ。」
敬った言葉遣いも断られた男は、この際割り切ることにした。
「はい。」


助けに来たといってもそこからの脱出は困難極まりなかった。
裂け目に大木を落とし、そこからロープが流してある。セクァヌらはその急流に逆らって出口まで行かなければならなかった。
出口まで息が続きそうもない、もうだめだと何度思ったかわからなかった。が、後ろからしっかりと支えているアレクシードの励ましが心に聞こえ、セクァヌは必死に頑張った。
そして、その後は、やはりロープを伝っての決死のロッククライミング。
落ちないようにと巻きつけられたロープがその長い距離の間に身体に食い込む。ロープを握る手も同じだった。布を何重か巻きつけておいても、それはすぐ破れ、皮膚も破れ血まみれになる。痛みはますますひどくなる。
が、ここまで来たからにはなんとしても脱出しなくてはならない。このチャンスを逃せば二度とは出られない。
必死の思いで彼らは登った。それまでためていた脱出への、そして生への最後の執念を燃やして。

「手当てを!」
ようやく這い上がり、はーはー、と肩で息をし、激痛を堪えているセクァヌの手当てを、アレクシードは急ぎ仲間に指図をする。
そこにいた4人のスパルキア人たちは、神への感謝と喜びと共に、セクァヌを、そして、続いて登ってきた大臣夫妻の手当てをした。


「大丈夫か?」
痛みとその為の熱にうなされ3日間横たわっていたセクァヌの目に、やさしく笑むアレクシードの顔が写った。
「アレク・・」
アレクシードに手を添えられてそっと身体を起こす。
そこはセクァヌが落とされた地の裂け目から少し離れた洞窟の中。
「お嬢ちゃん・・」
アレクシードはランプの炎に照らされて輝くセクァヌの瞳に驚いて呟く。
「え?」
「あ、いや・・・何か食べるか?それとも飲みものの方がいいか?」
思わずその瞳に惹きこまれてしまったことに動揺を覚えつつ、アレクシードは慌てて言葉を繋ぐ。
「じゃー、お水を少し。」
「わかった、すぐ持ってこよう。」
その場を離れるアレクシードの脳裏には、セクァヌの瞳が焼き付いていた。ゆらめく炎と共に光を弾き不思議な輝きを奏でる美しい瞳が。


そして、それから3日後、すっかり回復したセクァヌは、ようやくその洞窟からも出る。
「わ〜〜〜・・・」
外の景色を見るのも約3年ぶりだった。セクァヌより先に外に出ていた大臣夫妻の経験で、目が光に対して極度に弱くなっていることが分かっていた。アレクシードは夕方になってからセクァヌを外へと連れて出た。
涼しげな風が吹いていた。久しぶりの風を受け、セクァヌは思わず涙していた。
「お嬢ちゃん。」
「出れたのよね、本当に・・あそこから、私・・」
「ああ、そうだ。」
涙目で自分を見上げているセクァヌをやさしくアレクシードは見つめ返す。
そして風に揺れて、その視野に入った髪にセクァヌの目がいく。
「え?」
驚いて後ろでしばっていた髪を前にまわす。
「え?・・こ、これ・・・私の髪・・・?」
黒髪だったそれは、長い地下での暮らしの為、白髪を通り越し銀髪になっていた。
「わ、私・・・・、こんなの・・・・」
『きれいな黒髪だ、セクァヌの黒髪ほどきれいな髪は見たことがない。』と自分を嬉しそうに抱き上げて笑っていた彼女の父の顔が脳裏に写った。
「あ・・・・・・」
途端に真っ青になる。嬉し涙だったのが絶望のものとなる。と同時にセクァヌは闇雲に走りはじめた。
「いやーーーー!」
「お嬢ちゃん!」
慌ててセクァヌを追いかけるアレクシード。が、そこは森の中。地下で敏捷さをみにつけていたセクァヌは、アレクシードの大人の、しかも屈強な戦士の足でもある意味追いつけなかった。それは道なりに走っているのであれば、体格も体力も違う。すぐ追いつけただろうが、彼女は地下での癖というか、無意識に道でないところへと足を運んでいた。大人では通れないような岩の間を、藪の中を、それによってできるであろう切り傷をもものともせず、セクァヌはただひたすら走り続けていた。


「お嬢ちゃん!」
ようやくアレクシードが見つけたところ、そこはあの暗闇の地底が広がる裂け目の淵だった。
「お嬢ちゃん!」
飛び込もうとしていたセクァヌを間一髪でアレクシードが抱きとめる。
「何をするんだ?!」
「わ、私・・・こ、こんなの私じゃない・・・・私じゃ・・・」
「何を言ってる?髪の色くらいがなんだ!お嬢ちゃんはお嬢ちゃんだろ?!」
「ううん、違う。私じゃない・・・こんなの、きっとお父様だって・・・」
「姫っ!」
アレクシードのきつい口調とその言葉にセクァヌはびくっとして、男を見上げる。
その涙でいっぱいになった瞳をしばらく見つめてからアレクシードはゆっくりと、言い聞かせるように話した。
「あれほどの思いでようやく脱出できたんじゃないか。あの思いは、そして、オレたちスパルキアの民の思いは髪の色くらいでどうにかなるもんじゃないはずだ。」
「アレク・・」
ぎゅっと彼女を抱きしめてアレクシードは続けた。
「それでも、もし何か言う奴がいたら、オレがそんな奴は許してはおかない。だからお嬢ちゃん・・・そんな事は言わないでくれ。・・・オレには宝石のようにも思えるんだから。」
「アレク・・・・」
わあ〜っとそれまで我慢してきたものを吐き出すように、セクァヌはアレクシードの胸で泣き始めた。

「ほら、お嬢ちゃん。」
ようやく泣き止み落ち着いたセクァヌに、アレクシードは後ろを指差して促す。
そこにはセクァヌを心配してやはり探しに来た大臣夫妻とアレクシードの仲間がいた。
「あ・・・みんな・・・・・」
彼らのその気持ちと温かい瞳に、セクァヌの瞳からは再び涙があふれてきた。嬉し涙が。


自然のそして完璧な牢獄だったそこは見張りがいるわけでも見回りが来るわけでもなかった。しかも人里から遠く隔たった僻地。が、一応ガートランドの息のかかった者の目を配慮し、アレクシードらは夜間移動することにした。ガートランド本国の領地を離れ、今は属国となっているハラシムに向かう。そこにはなんとか難を逃れたスパルキア人が息を潜めて暮らしている場所があるはずだった。彼らと合流し、なんとか一族解放の突破口を見つける、それがアレクシードらの願いだった。そして、その前に族長の忘れ形見の姫を救い出してそこへ向かえば、団結力はそして士気は、比べ物にならないくらい高まるはずだった。

計画はここまで順調に来、加えて元大臣夫妻という強力な味方もできた。ガートランドの元大臣とはいえ、現国王と意見を異にし、あの地底に落とされた彼らは、是非もなく協力を申し出てくれていた。しかも、彼らの情報により、地底内で見つけた水晶やヒスイの鉱床から、十分すぎるほどの資金源となりうる原石を持ち出すこともできた。

その道中、同じ馬上の自分の腕の中にいるセクァヌの月の光を受けて輝く瞳と髪にアレクシードは見入る。
「しかし、本当にきれいだな。」
「え?何が?」
「陽の光を受ければ黄金色に、そして月の光を受ければ銀色に輝く。まるで宝石のようだ。」
「あ・・・あの・・・」
面と向かって褒められ、子供心にもセクァヌは真っ赤になってうつむく。
「これでもう少し歳がいっていたら申し分なかったんだが。」
「もう!アレクの意地悪っ!」
その言葉に、ぱっと顔を上げて文句を言うセクァヌ。
「どうせ私はまだ子供ですっ!」
「はっはっはっはっ!」
拗ねた表情で自分から顔をそむけるセクァヌに、アレクシードは大笑いする。

10歳と23歳。それでもそこに確かな心の触れ合いができていた。

 

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