森の中を歩くサフィーユ。その左手には、あまり輝いていない赤い宝石のついた指輪がはまっていた。
「この指輪の宝石に、あなたが殺した人々の血を少しでいいから垂らして染み込ませてほしいの。染み込ませるにつれて、どんどん輝きを増してくるわ。それが、これ以上ないぐらいに輝きだしたら、そのクレールって子に会わせてあげる」
悪魔が、クレールと会うことと引き替えにサフィーユに頼んだ言葉である。
「そうそう、生きている人や、同じ人の血を何度もしみこませても無駄だからね」
悪魔はそうも付け加えていた。
・・・サフィーユの心は揺れていた。悪魔と取り引きしてまでクレールに会おうとするのは、いくら何でも許されざる行為ではないのだろうか?そのために、他人の命を奪わなければいけないというのは、あまりにもわがままではなのではないのか?しかし、その思いも徐々に心から消え失せていった。「クレールに会いたい」その思いがサフィーユの心を支配していった。
そのとき、サフィーユは自分の周囲の森の中に、複数の気配を感じ取った。その殺気混じりの気配は、サフィーユの周囲を取り囲むように、少しずつ近づいてきていた。
「・・・誰・・・」
「・・・!?気づいていやがったか・・・」
その声と同時に、武器を持った人相の悪い男たちが森の中から現れた。
「なんだ?まだガキじゃないか。金持ってるのか?」
「持ってなければ、こいつを売りさばけばいいのさ」
「・・・なるほどな。そいつは良いアイデアだ」
その男たちは盗賊の一味であった。どうやら、金品を奪うだけでなく、人身売買にまで手を出している、かなりの悪党のようだ。
「そんなわけだ、おとなしくしていれば、命だけは助けてやる」
リーダーらしき男が、サフィーユに剣を向け近づいてきた。
「・・・あなた達・・・相当悪い事しているみたいね・・・」
サフィーユは、落ち着いた様子で突きつけられた剣の腹の部分を、魔力を込めた拳で軽く殴った。その瞬間、まるでガラスが割れるような音がして、男の持っていた剣が砕け散った。
「うわああああ・・・・!」
その場にいた全員がその光景に驚き、剣を抜いて戦闘態勢に入った。しかし、それでもサフィーユは落ち着いた様子で周りを見回した。その自信にあふれた目にたじろぐ盗賊たち。
「・・・くそう、なめやがって!」
そのとき、一人の男がサフィーユに飛びかかった。サフィーユは落ち着いてその方向に手をかざし、魔法弾を撃った。その魔法弾は、一筋の光線のような残像を残し、鉄製の鎧をものともせず、飛びかかってきた男の胸を貫いた。
「ぐは・・・!」
「な・・・何だこいつ・・・化け物か!?」
そのあまりの魔法の威力に驚く盗賊たち。だが、その驚きもすぐに消え去ってしまった。
「・・・悪人は、きちんと裁かれなくちゃね・・・!」
そういうと、サフィーユは魔力を手前にかざした手の間に集め始めた。
「うわ・・・な・・・何だこの魔力は!こんなに強い魔力は初めてだ!」
「ば・・・化け物だ!にげろ〜!!」
サフィーユの力に、驚きから恐怖を感じはじめた盗賊たちは一斉に逃げ出した。
確かに、この世界では魔法使いは数多く存在していたが、サフィーユほどの達人はそう多くいるものではなかった。その上、今のサフィーユは心を闇に落とすことによって手にはいる、「闇」の力まで手に入れていた。そのため、サフィーユは人間(エルフ)の持ち得る魔力の限界を超えた力を持っていたのである。
「・・・誰一人逃がさないわよ!」
その瞬間、サフィーユの手から無数の魔法弾が飛び出していった。それらの魔法弾は、逃げている盗賊たちに向かってまっすぐ飛んでいき、彼らを帰らぬ人にしてしまった・・・。
そして、サフィーユはあの悪魔にいわれたとおりに指輪に盗賊たちの血を染み込ませ始めた。しかし、その手は激しくふるえていた。
・・・確かに、この盗賊たちは、悪人であった。何人もの命も奪っていた。しかし、だからといって殺してしまっていいのだろうか?しかも、「クレールに会いたい」という理由で・・・。それでは、自分たちの欲望を満たすために、人を殺して金品を巻き上げていたこの盗賊たちと同じではないのか・・・?
そういう思いがサフィーユの中で強くなり、最初の決意は薄れていった。それと同時に、恐怖がサフィーユを支配していった。
「・・・私は・・・人を殺してしまった・・・」
そう言った後、サフィーユは絶叫し、まるで何かから逃げ出すようにその場から走り去っていった。
しばらくすると、サフィーユはとある町の寂しい裏通りを、泣きながら歩いていた。
・・・もうクレールのことはあきらめよう。これ以上、人の命を奪うわけにはいかない。しかし、自分にクレールのことが忘れられるだろうか?
そんなことを考えながら、サフィーユはふらふらと歩いていた。心の中で葛藤が続く。クレールに会いたい・・・でもあきらめなくてはならない・・・。しかし、その葛藤は、ただただサフィーユを苦しめるだけであった。そんなとき、ある物が目に飛び込んできた。
酒である。修道院では「人の心を惑わす飲み物である」と言われ忌み嫌われていたものだ。しかし、旅の途中で「飲めば、いやなことがなにもかも忘れられる」ということも聞いていた。その、忘れられる、と言うことにサフィーユは惹かれていった。そして、酒場に入って酒を買おうとした。
「あの・・・お酒ください」
「ん?お嬢ちゃんはまだ子供だろ?まだ早いよ」
さすがにサフィーユの年では簡単には売ってくれなかった。
「いいじゃない!お金はあるんだから!」
そういって強引に酒ビンを奪い取り、お金をおいてサフィーユは立ち去っていった。
「あ〜、持ってっちゃったよ、あの子。大丈夫かなぁ・・・」
店主はそう言ったものの、追いかけて取り戻そうとはしなかった。せっかく売れた物を、不意にはしたくなかったからだ。
サフィーユは、人通りの全くない路地に置いてある木箱にもたれてビンの栓を抜いた。ビンの中から強烈なにおいが漂ってくる。サフィーユが経験したことのないにおいだ。しかし、「忘れたい」という思いに突き動かされ、そのキツイにおいを放つ液体を口に含んだ。
「・・・う・・・げほっ!」
のどに焼けるような刺激が走り、サフィーユは思わずむせてしまった。しかし、その刺激が通り過ぎた後、体になにか暖かいものが広がっていった。
「ああ・・・あったかい・・・」
満足げな表情でそう言ったサフィーユの目には涙があふれ、体は小刻みにふるえていた。
「・・・クレールと居ると・・・いつも・・・こんな感じだった・・・あったかくて・・・安心できて・・・。だけど・・・今はひとりぼっち・・・これからも・・・ずっと・・・」
そういうとサフィーユは、酒を一気に飲んだ。もっと暖かい気分になりたかったからなのか、それともクレールのことを忘れようとするためか、それは本人にもわからなかった。
「ああ・・・あったかい・・・あったかいよぅ・・・」
サフィーユの涙は止まらなかった。体のふるえも止まらなかった。サフィーユは、今まで身近にあって当然であったものに決別するつらさを味わいつつ、一晩中酒を飲み続けた。
・・・次の日、サフィーユは昼頃に目を覚ました。
「・・・ううぅ・・・頭が痛い・・・」
昨日の晩に買った酒のビンはすっかり空っぽになっていた。どうも飲み過ぎたようだ・・・そう思って立ち上がろうとしたとき、あの悪魔が現れた。
「どうしたの?ずいぶん荒れているみたいね」
「・・・」
「そういえば昨日、森の中で盗賊たちを倒したみたいね。すごい魔法だったじゃない」
「・・・」
「そんなすごい魔法が使えるなら、その指輪が輝くまで、そうはかからないわね」
「もういい・・・」
「なんですって?」
「もう・・・クレールのことはいいの・・・だから、あなたの言うとおりにはしない・・・」
「そう・・・」
悪魔は、少し考えてからサフィーユにささやき始めた。
「でもさ、あなたにそのクレールって子が忘れられるかしら?」
「・・・」
「で、その寂しさから逃れるために、お酒を飲んでいたんでしょ?」
「・・・!」
悪魔は、まるでサフィーユの心を見透かしたような口調でさらに続けた。
「だけど、結局忘れていられるのはお酒を飲んで酔っているときだけ。それが覚めると、また寂しくなってお酒を飲む。そんなことを繰り返し、どんどん寂しさだけが強くなるの。結局、永遠にあなたの心が満たされることはないわ」
「・・・うるさいわね・・・あなたに、私の気持ちなんか分からない・・・!」
「いいえ・・・誰よりもあなたの気持ちは分かっているわ。あなたは、クレールに会いたい。たとえ、人殺しをしてでも・・・ね?」
「いやああぁぁぁぁ・・・・!」
サフィーユは逃げ出した。この悪魔と一緒にいれば、また自分は人殺しをしてしまう・・・。そうなりたくないため、全力で森の中を逃げた。
「い・・・いやぁ!もう・・・もう来ないでぇ!」
「フフフ・・・無駄よ・・・いくら逃げても・・・!?」
「こ・・・この悪魔めぇ!殺してやる!」
怒りにふるえながら、サフィーユは全力で魔法弾を撃った。ものすごい閃光と爆発音、そして衝撃・・・。しかし・・・
「フフフ・・・どうしたの?」
悪魔は無傷でそこに立っていた。その周囲の木々は折れ、地面はえぐれていたが、その悪魔は何事もなかったかのように立っていた。
「うわあ・・・あああああぁぁぁぁ・・・・!」
サフィーユは今まで感じたことのない恐怖を味わいつつも、何とかこの悪魔から逃れようと、何度も何度も魔法弾を打ち込んだ。どんどん森から木の生えている部分が減っていったが、悪魔は依然として平気な顔をして立っていた。
「あああ・・・そんな・・・」
「フフフ・・・あなたに私は倒せない。そして、もう逃げることもできないのよ・・・フフフ・・・」
「いやぁ・・・」
サフィーユは、心の底から悪魔と取引をしたことを後悔した。しかし、そう思ったときにはすでに手遅れとなっていた・・・。
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